教育基本法の「準憲法的性格」とは何か

【解答乱麻】拓殖大学客員教授・石井昌浩 教基法格下げの奇策

 石井氏は、

 教育基本法は、教育の基本的な理念を示すものであり、その効力は教育法体系において日本国憲法に次ぐ準憲法的性格を有する。これは教育の世界の常識である。編集委員を務める教育学者6人が、どれほど高名な権威であろうとも、教育法体系の解釈まで変更できようはずがない。手品もどきの乱暴な手を使い、教育基本法改正の意義を消し去ろうとするのは、ルール無視の禁じ手と言うべきである。

 どうしても改正教育基本法の存在を認めたくないと主張するのなら、まず国会の審議を経て改正教育基本法を廃止し、旧教育基本法を復活させるのが民主主義の道理というものではないか。

という。
 では、石井氏の言う教育基本法の「準憲法的性格」とは何なのか。
 もし教育基本法が「準憲法的性格」を有する重要なものであるとするならば、単に「時代が変わった」というような理由を持ち出して軽々に改正されるものだろうか。また、あのような短時間の議論のみで改正されるものだろうか。
 改正前の教育基本法は「実定法」としての体裁を持たないために、日常的にはほとんど表に出てこない、拘束力を持たないものだった。教育基本法は「準憲法的性格」を持つと言われながら、棚の上に大事に飾られているような存在でしかなかった。 改正前の教育基本法は他の教育関係の法律に対して明確に制限をするものではなかったと私は解釈している。教育法体系の中で常に教育基本法が最上位の法律として機能したり、明確にそのような位置づけが行われてきたとは思えない。つまり、これまでの教育基本法の「準憲法的性格」というのは、実体の伴わないロジックであったと考える。
 改正された教育基本法は、それまでの教育基本法とは大きく異なり、常に意識せざる得ない存在へと変化した。その法律の有する「準憲法的性格」は、それ以前のものとは大きく意味が異なる。
 改正された教育基本法は「準憲法的性格」を有するというロジックを持ち出すことで、改正後の教育基本法に権威を持たせ、それを正当化される。また、改正前の教育基本法と異なり、他の法律へも大きな影響を及ぼすことになったことを考えれば「準憲法的性格」も変化したと考えられる。
 石井氏の言う「教育の世界の常識」である「準憲法的性格」は言葉は同じでもその意味は改正の前後では大きく異なる。教育基本法の「準憲法的性格」は単に「常識」というだけで捉えられるものではない。
 結局、教育基本法の「準憲法的性格」というのは、都合よく利用されるだけの「ロジック」に過ぎないのだと思う。自分たちにとって都合が悪ければ「準憲法的性格」などというのは無視されるのであり、自分たちにとって都合がよければ「準憲法的性格」などというのは重視される。そういう「準憲法的性格」によって保たれる教育基本法の「権威」や「正当性」も都合よく利用されるものに過ぎない。
 教育基本法は改正前も改正後も不憫な法律だ。常に、「準憲法的性格」に振り回され続けているのだから。