教育基本法を改正する必要があるか

ISBN:4022731141:detail

以下引用。

杉田 改憲論者はよく、環境権などを持ち出して、「この権利がないじゃないか」と言いますね。「いまの規定では不十分だ。立憲主義の観点からも、新しい権利を書き足すべきだ」と。
長谷部 環境権やプライバシーの権利がよく問題になるんですが、プライバシーの権利は、すでに私法上の権利として守られていて、侵書の危険があれば差止めが認められますし、事後的な賠償も認められる。そして憲法上の権利としても生命、自由、および幸福追求の権利を定めた憲法一三条の解釈として裁判上きちんと認められていますから、憲法の条文に新たに書き込んだとしても、実質は変わらないと思いますね。
 環境権も、結論は同じだと思います。環境権という言葉をただ憲法の条文に書き足せば、それで何かより良い環境が実現するわけではありません。別途、法律の制定や行政の活動が必要です。でも法律や行政のレベルで制度が現にできてしまえば、憲法に「環境権」が加わったとしても、特に何の意味もない。いずれにしても、こうした問題で憲法の条文を変えることにはシンボリックな意味しかない、というのが私の感想ですね。
杉田 その場合に、たとえば「環境権は書かなくてもいい。しかし、言論の自由は書かなければだめだ」ってどう判断できるんですか。「これは書いておかなければいけないけれども、これは書かなくてもいい」という振り分けの基準はどうなっているんですか。
長谷部 言論の自由は二一条ですでに保障していますが、少なくとも「国家から侵害を受けない」という意味での憲法上の自由は、たとえ明文の根拠条文がなくても、憲法一三条を通じて解釈に取り込んでいくことは十分可能なので、新しい問題が発生して、新たな権利を憲法上認める必要が出てきても、一三条で十分対応できると思いますね。
 他方で環境権のように、実現のために国の積極的な立法や施策が必要な権利の場合は、憲法の文言を変えることにエネルギーを注ぐよりも、それこそノーマル・ポリティックスの場で、良好な環境を実現する努力をすべきだと思いますけどね。

 これと同じようなことを市川昭午氏が衆議院参考人質疑で述べている。以下、平成18年5月30日衆議院教育基本法に関する特別委員会議事録より引用

 教育基本法の改正に関する私の基本的な考え方を一言で申し上げますと、改正するには及ばないというものでございます。その理由は極めて簡単でして、改正をする必要がないからでございます。
 私とても、教育基本法が神聖不可侵な不磨の大典であり、絶対に改正してはならないと思っているわけではございません。改正しなければならない理由があれば、できるだけ早く改正すべきであることは言うまでもございません。しかし、これまでのところ、各方面の御意見を聞き、いろいろな方のお書きになったものを拝見いたしましたが、改正しなければならない理由は見出せませんでした。
 と申しますのも、我が国教育の根本を定めております法律である以上、それを改正するにはそれなりのしかるべき理由がなければなりません。ところが、これまでのところ、どこからもそれが示されていないわけでございます。例えば、これからの国民を育成する上で現行法の教育理念では不十分だという証拠、今後の教育施策を進めていく上で現行法の規定が邪魔になる、障害になる、そういった根拠などが具体的に示されてはおりません。
 時代の進展や社会の変化に対応してしかるべき教育の進展が必要だということは、そのとおりでございます。しかしそれは、教育基本法以外の法令の改正や教育関係の政策や施策、そういったものによって行うことが可能であります。急速に変化してやまないその時々の政策課題を恒常的な理念法であります教育基本法に規定することは、適当ではありません。それに、そうした理念や政策の多くは既に現在の基本法にも見出せますし、ほかの分野にも三十ぐらいの基本法があり、その中に教育に関する規定も多々ございます。それから、無論、教育基本法を根本とした教育関係のさまざまな法律にも書かれております。そうしたことから、改正する必要は認めないと考えるわけでございますが、これは決して私の独断ではございません。
 ここに中央教育審議会の鳥居会長がおられますが、中央教育審議会で三年前に教育基本法改正について審議しましたときに、私は、文字どおり、その末席を汚しておりました。私は、そのとき、文部科学大臣から改正について諮問される以上、改正しなければならない事情があるんだと思いました。そこで、審議会の席上、教育基本法を改正しなければならない理由、例えば、教育政策の展開あるいは教育事業の実施、あるいは現場の教育活動などに何か困ることがあるのでしょうかとお尋ねしました。ところが、教育審議会におられた並みいる委員の方々からも、また事務局を務められました文部科学省の方からも、特に支障があるという御返事はありませんでした。このことは、当時の審議会の記録をごらんいただければおわかりと思います。
 ただ、その折、ある委員から、別に教育基本法が現在のままで困ることはないけれども、しかし改正してもいいんじゃないかという御意見はございました。
 確かにそのとおりであります。しかしそれは、教育関係の仕事、教育行政の仕事、教育者の仕事は非常に暇で、文部科学省の方々が何もすることがないというようなお暇がおありであれば、これは現在のものよりもよいものにするために改正を検討されても結構でございますが、私が存じ上げる限り、文部科学省の方は大変お忙しくていらっしゃいます。また、国会の先生方も日々国事に奔走されているわけでございまして、早急に支障がないような法律の審議をされるという必要は余りないのではないか、こんなふうに考えるわけでございます。
 先生方におかれましては、現在の教育基本法が余りにも抽象的過ぎるとかいった御不満もおありでしょうし、これも規定したい、これも盛り込みたいというようないろいろな御希望もお持ちであろうかとは存じます。そういった御不満や御希望はもっともとは思いますが、そうした具体的なことは教育基本法以外の法令に規定すべきものだと考えます。
 と申しますのも、具体的な内容を基本法に規定しようとしますと、どうしてもさまざまな不都合が生じます。それは、なぜAということを規定しながらBについては規定しないのかといった反論を招くことになりますし、また、類似の規定が既に関係法令にあるではないかといった疑問も生じることは避けられません。
 一例だけ挙げますと、例えば、障害者に対する教育上の支援というのは、政府案にも民主党案にも書いてございます。これは大変結構なことでございますけれども、障害者基本法に既に同じような規定がございます。一例だけ挙げましたけれども、ほかにもこういったことはたくさんございます。
 その点、現在の教育基本法は、日本国憲法に関連する事項に限って規定するという原則がございました。これは、当時文部省の参与をしておられまして教育基本法草案の作成を指導されました田中二郎先生、この方が教育刷新委員会で説明されていることでございまして、この原則に基づきまして、現在の教育基本法に盛られております条項はすべて日本国憲法に関連する事項に限って規定するという基本原則がございます。
 ですから、例えば、科学教育、芸術教育、徳育、体育などということは規定しておりません。一方で、政治教育、宗教教育は規定してございます。これは、科学教育が政治教育よりも重要でないということではございませんで、憲法に関連する条項があるかどうかということでございます。
 この日本国憲法教育基本法の条項との関連につきましては、当時の第九十二帝国議会に法案が提出される前に、当時は明治憲法下でございますから枢密院の審議を経ておりますが、この枢密院の記録に、日本国憲法教育基本法の対照表が残っております。
 こうした法案構成の基本的原理がありませんと、あれも必要だ、これも大事だ、これが足りない、あれが欠けているといったことが限りなくふえてくるわけでございまして、議論が尽きることがございません。ですから、あえて改正しようとするものでありましたならば、現行法をより長い文章にするのではなく、より簡潔にすべきだと思います。

 社会状況の変化などを理由として、これを教育基本法に書き込むべきだという主張がある。しかし、教育基本法は市川氏が言うように理念法であること、また、現行教育基本法の条文特に第一条、第二条、第十一条などを根拠にして新しい状況に対応することは十分可能だ。
 それをわざわざこれが足りないから書き込もうというのは、長谷部氏が言うように「特に何の意味も」なく「シンボリックな意味しかない」。
 足りないところを補うことを改正理由として挙げていながら、衆参の特別委員会では何を書き足すべきか。なぜ書き足すべきか。書き足す必要のないものは何か。そういう議論をほとんどしていない。また、社会状況の変化が根拠であるならば、社会がどう変わり、それに対応するためには何が必要なのか。そういう議論もほとんど行われていない。
 社会状況の変化など新たな問題に対応する必要があるならば、長谷部氏が言う「ノーマル・ポリティックスの場」で必要な法律を作ったり、改正したりすることや必要な施策の実施にエネルギーを注ぐべきだ。