見切り発車しかしない教育改革

学力調査の中3記述式、採点難問 ×が○に、作業も中断

 小学6年と中学3年の約233万人が参加した全国学力調査の採点で、中3の記述式問題で正誤の基準が途中で変わったり、作業現場の責任者の判断が食い違うなど、混乱が生じていることがわかった。人材派遣会社から派遣された複数の採点スタッフが明らかにした。スタッフは「採点が肝心なのに、あまりにいい加減だ」と口をそろえている。

 前にも書いたが、OECDPISA調査などと比較すると、全国学力テストは質も信頼性も低い。こういうことになるのは事前に予見できたはずで、その問題をクリアしないまま実施するというのは愚かな行為だというしかない。
 全国学力テストが、事前に予見できたはずの問題さえクリアできていないことは明らかだが、そういう見切り発車をいつまでたっても止められないことこそ最大の問題ではないか。
 教育改革ではよく「やってみなければはじまらない」というようなことが平然と言い放たれ、「慎重さ」という言葉は軽視される。教育再生会議や全国学力テストなどはその典型例だ。
 文部科学省などは全国学力テストの導入でPDCAサイクルを定着させたいということを言っているが、全国学力テストではPDCAサイクルが機能していないのだから、そんなのは画餅に過ぎない。
 なぜ見切り発車をしなければいけないのだろうか。全国学力テストに限ったとしても、なぜ事前に予見できる問題さえクリアしないまま実施だけが急がれるのだろうか。
 全国学力テストの実施は急ぐ必要は無かった。こう言うと、問題を放置するのかと批判されると思う。しかし、全国学力テストを実施しなくても、やれることはいくらでもある。その、やれることをやらないまま、全国学力テストという見栄えの良い「大イベント」に目移りしてしまうほうがよっぽど問題ではないか。
 目移りしたとしても、少なくとも事前に予見される問題をきちんとクリアするというような「慎重さ」があるならまだいい。そういうのも無くて「やってみなければ」でやって「慎重に」という主張には「反対するのか」と言ってとりあわない。これからも同様のことを繰り返していくのだろうか。