キャリア教育の問題点

 『教育』3月号 国土社 は「ニート・フリーターと青年の自立」という特集を組んでいる。その中から 児美川孝一郎 「日本の若年就労支援策は若者たちを救えるか?」を取り上げたい。
 児美川氏はその中で文部科学省がすすめるキャリア教育政策の問題点をいくつか挙げている。以下引用。

 第一に、文部省がすすめるキャリア教育政策もまた、「若者自立・挑戦プラン」同様に、労働市場の側の構造的問題を問わずに、若者たちの意識や能力の問題に、今日の雇用問題の打開策を求めようとしている。端的に言ってしまえば、ことの始まりから、教育政策としてのキャリア教育には、子どもたち・若者たちの勤労意識や職業観の「未熟さ」を“叩き直す”こと、彼(女)らの「エンプロイアビリティ」を少しでも高めることを通じて、若年をめぐる雇用状況の深刻化に対処していく(いわば「教育で始末をつける」)という役割が担わされているのである。
 第二に、結果として、キャリア教育の内容として重視されるのは、もっぱら子どもたち・若者たちの「勤労観・職業観の育成」であり、現代社会における労働や職業をめぐる状況について、主体的かつ科学的な認識を育てるといったことには、ほとんど重点が置かれていない。もちろん、文部科学省の調査研究協力者会議の報告書などを丹念に読めば、そこには以下のような指摘を見つけることも可能である。「社会の仕組みや経済社会の構造とその働きについての基本的理解は、進路選択、将来設計を行う際に欠かすことのできないものである。このため、労働者としての権利や義務、相談機関等に関する情報等最低限持っていなければならない知識を、子どもたちが習得できるようにすることが必要である。」
 指摘自体は正論であろうが、残念ながら、こうした視点を生かしたプログラムや教育実践の展開は、いくつかの自覚的な実践事例を除けば、確認することが難しい。また、この視点が、とりわけキャリア教育に関する行政研修等で強調されているということもない。
 第三に、予算措置等も含めて、現時点でもっとも重視されている施策の一つは、中学校等での職場体験の推進であるが、現状では職場体験のねらいについての現場レベルでの議論が積みあげられるというよりも、「はじめに職場体験ありき」といった強引な政策展開が目立っている。結局のところ、それは、勤労や労働についての気構えや忍耐力を培うといった「態度主義」的な教育訓練の場にもなりかねないことが危惧されると言うべきだろう。
 また、今後は、キャリアカウンセリングの手法が、生徒指導や進路指導の場面に積極的に導入されていくことが予想される。これが、構造的問題への社会的視点を欠いたキャリア教育の枠のなかで実施されるとすれば、そのことは、子どもたち・若者たちの「心」を巧妙に動員しつつ、結局は既存の社会(労働市場)へと彼(女)らを割り振っていく「心理主義」的なコントロールの手段にもなりかねないことに注意が向けられなくてはならないだろう。
 最後に、指摘したような「態度主義」や「心理主義」の問題も関連してくるが、総じて、文部科学省がすすめるキャリア教育には、現在の労働市場の秩序を大前提として、そこに適応することができる若者を輩出していこうという「適応主義」の論理が貫かれている。そこでは、自分らしい働き方や安心して働ける場を求める多くの若者たちの思いは、「現実」という壁の前で跳ね返される仕組みになっており、当然、そうした「新しい働き方」を創っていく主体として、子どもたち・若者たちを育てていこうという発想は存在していない。

 そして児美川氏は次のような提案をしている。

 新自由主義スキームに枠づけられ、若年就労支援策の一環に組み込まれた「政策としてのキャリア教育」ではなく、私たち自身の課題として、子どもと若者の未来のための「権利としてのキャリア教育」が、積極的に創造されていかなくてはならないだろう。
 「権利としてのキャリア教育」の中味について、ここで詳しく論じている余裕はないが、少なくとも、1.若者たちのキャリアが、既存の労働市場にはめ込まれるのではなく、彼(女)ら白身が、自らのキャリア形成の主体であるという自覚をもてるようにすること、2.そのためには、彼(女)らが職業・労働の世界に漕ぎ出ていく際の“武器”となる「職業的に意味のある力量」を獲得できるような筋道を保障すること、3.同時に、職場においてそうした力量を発揮できるために、いわゆる「シティズンシップ教育」の追究と併せて、「自らが働く場で統治主体として振る舞える力量」の形成をはかること、といった視点を欠くことはできないだろう。

 現在、総合的な学習の時間や独自の教科として「キャリア教育」が多くの学校で実施されている。しかし、そのカリキュラムには「権利としてのキャリア教育」は組み込まれていない。そのために、児美川氏の指摘するように子どもたちは「現代社会における労働や職業をめぐる状況について、主体的かつ科学的な認識」を持つことができない。
 しかし、この問題はキャリア教育だけの問題ではない。社会科教育でも次のような問題を指摘できる。社会科でも労働や職業について学ぶ。しかし、それは「現代社会における労働や職業をめぐる状況について、主体的かつ科学的な認識」を育むことができていない。社会科教育でも同様に「態度主義」や「心理主義」に陥っている面がある。
 これは、様々な問題を多面的に捉えることができていないことが要因と考えられる。それは、開かれた価値観ではなく閉じた価値観を強調し、教えていくことと関連している。
 イギリスのシチズンシップ教育やアメリカのサービスラーニングなど諸外国の教育政策も参考にしながら、キャリア教育は見直していくことが必要だ。