キャリア教育に問題はないか

フリーター、労働時間は正社員並み 残業代未払いも

 フリーターも学生バイトも働く時間が正社員並みに長い人が多数を占める厳しい労働実態が、若者の労働NPO「POSSE」(今野晴貴代表)の調査でわかった。
 POSSEは、働く若者の実態を当事者の立場から発信しようと、中央大や一橋大、東京大などの学生や若年フリーターが結成。調査は6月と7月、若者が多い下北沢(東京都世田谷区)と東京都八王子市内などで15歳から34歳を対象に街頭で聞き取りをした。学生1976人、社会人800人(うち正社員425人、フリーター365人、その他10人)の計2776人が回答した。
 フリーターで1日7時間以上働いていたのは71%、週5日以上は73%と正社員並みの実態だった。1週間休みなしというフリーターと正社員が4%以上もいた。学生バイトは1日5時間以上が72%、週3日以上は70%と、長時間化が目立った。正社員の3割近くが1日平均11時間の労働時間だった。
 一方、残業代は、正社員男性の42%、女性の49%、フリーター男性の30%、女性の27%が不払いだった。社会人の7%が「払われているかどうかもわからない」と回答。給与明細の見方さえ知らない人も目立った。
 労働知識の不足も目立つ。労働基準法を正社員もフリーターも37%が知らなかった。社会保険もフリーターの65%、正社員の13%が未加入だった。ある正社員は、会社から「国民年金に入れ」と言われ、厚生年金に加入できなかった人もいた。

 今、学校ではニートやフリーターが問題だとして「キャリア教育」が盛んに行われている。しかし、そこには問題がある。
 記事の「給与明細の見方さえ知らない人も目立った。」とか、「労働知識の不足も目立つ。労働基準法を正社員もフリーターも37%が知らなかった。社会保険もフリーターの65%、正社員の13%が未加入だった。ある正社員は、会社から「国民年金に入れ」と言われ、厚生年金に加入できなかった人もいた。」というようなことはさらに増えてくるだろう。なぜなら、今行われているキャリア教育では労働法について学んだり、労働者の待遇について考えるようなことはほとんど行われていないからだ。労働法の知識が無いまま就職し、不当な待遇を受けていてもどうすればいいかさえ分からない若者が増えてくるだろう。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060318/1142635385で紹介した熊沢誠氏の指摘をもう一度引用しておく。

 生じている事態を凝視するならば、今の教育に不可欠のものは高校段階での内容豊かな職業教育の展開であろう。いや、ふつうの大学でもそうだといってよい。その「内容ゆたかな職業教育」は、まずノンエリート青年男女が卒業後に就く可能性の高いさまざまの仕事の確かな意義と尊厳、それぞれの職業の歴史と文化、そして日本的経営のフレキシブルな職務割当てに則した幅広い技能を教えなければならない。この幅広い、今の技術革新に対応しうる技能教育という点では、現在の職業科でも決定的に不十分だと現場の教師たちはいう。

 内容ゆたかな職業教育は、しかし次には、そうしたさまざまの職業に関する現実、労働者の仕事に許される裁量権の程度、労働条件や労働環境のようすなどを、「暗い」側面も含めて欺瞞なく語らねばならない。臨時には実際の職業人を教師とし、労働現場を教室とすることも必要であろう。そして、こうして職業生活の現実が生徒たち、学生たちにひきあわされた上で、内容ゆたかな職業教育は、その現実のなかでもノンエリートの若者たちがゆとり、仕事のやりがい、よりましな労働条件など、継続的な職業生活に不可欠なものを獲得できるようなすべを示唆しなければならない。その職業の人びとが生活を守るために展開してきた運動の歴史や実例、今の若者たちには疎遠になっている労働基準法労働三権、労働の安全と衛生に関する現行の、またはあるべき規制などがカリキュラムの必須の要素となるべきことはここにいうまでもない。

 また、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060312/1142097974で紹介した児美川孝一郎氏の指摘をもう一度引用しておく。

 第二に、結果として、キャリア教育の内容として重視されるのは、もっぱら子どもたち・若者たちの「勤労観・職業観の育成」であり、現代社会における労働や職業をめぐる状況について、主体的かつ科学的な認識を育てるといったことには、ほとんど重点が置かれていない。もちろん、文部科学省の調査研究協力者会議の報告書などを丹念に読めば、そこには以下のような指摘を見つけることも可能である。「社会の仕組みや経済社会の構造とその働きについての基本的理解は、進路選択、将来設計を行う際に欠かすことのできないものである。このため、労働者としての権利や義務、相談機関等に関する情報等最低限持っていなければならない知識を、子どもたちが習得できるようにすることが必要である。」
 指摘自体は正論であろうが、残念ながら、こうした視点を生かしたプログラムや教育実践の展開は、いくつかの自覚的な実践事例を除けば、確認することが難しい。また、この視点が、とりわけキャリア教育に関する行政研修等で強調されているということもない。

 また児美川氏は次のようなことも指摘している。

 新自由主義スキームに枠づけられ、若年就労支援策の一環に組み込まれた「政策としてのキャリア教育」ではなく、私たち自身の課題として、子どもと若者の未来のための「権利としてのキャリア教育」が、積極的に創造されていかなくてはならないだろう。
 「権利としてのキャリア教育」の中味について、ここで詳しく論じている余裕はないが、少なくとも、1.若者たちのキャリアが、既存の労働市場にはめ込まれるのではなく、彼(女)ら白身が、自らのキャリア形成の主体であるという自覚をもてるようにすること、2.そのためには、彼(女)らが職業・労働の世界に漕ぎ出ていく際の“武器”となる「職業的に意味のある力量」を獲得できるような筋道を保障すること、3.同時に、職場においてそうした力量を発揮できるために、いわゆる「シティズンシップ教育」の追究と併せて、「自らが働く場で統治主体として振る舞える力量」の形成をはかること、といった視点を欠くことはできないだろう。

 今行われているキャリア教育は、熊沢氏が言うような「内容豊かな職業教育」にはなっていないし、児美川氏が言う「権利としてのキャリア教育」にもなっていない。だから、給与明細の見方さえ知らないとか、労働知識が不足した若者が増えるのは目に見えている。
 児美川氏が

最後に、指摘したような「態度主義」や「心理主義」の問題も関連してくるが、総じて、文部科学省がすすめるキャリア教育には、現在の労働市場の秩序を大前提として、そこに適応することができる若者を輩出していこうという「適応主義」の論理が貫かれている。そこでは、自分らしい働き方や安心して働ける場を求める多くの若者たちの思いは、「現実」という壁の前で跳ね返される仕組みになっており、当然、そうした「新しい働き方」を創っていく主体として、子どもたち・若者たちを育てていこうという発想は存在していない。

と言っているように、「適応主義」のキャリア教育では、この記事にあるような問題は一向に解決しない。