学習指導要領の法的拘束力について

 必修科目の未履修問題が話題になっている。学習指導要領の法的拘束力の問題はそれと大きく関わってくるので、それについて書かれた『季刊教育法』六号(1972年)所収の室井力「学習指導要領の法的性質」から一部を引用する。

 まず、学習指導要領に関する現行法制をみれば、つぎのようである。「小学校の教科に関する事項は、第十七条及び第十八条の規定に従い、監督庁が、これを定める」(学校教育法二〇条)が、ここにいう一七条は、小学校の目的を規定し、同じく一八条は、小学校教育の目標を規定するものであり、かつ、本条にいう「監督庁」とは、「当分の間、これを文部大臣とする」とされている(同法一〇六条一項)。中学校・高等学校についても、ほぼ同趣旨の規定がおかれている(同法三八条、四三条、一〇六条一項)が、ここでは便宜上小学校についてみる。右の学校教育法二〇条の規定をうけて文部省令である学校教育法施行規則は、第二章の小学校に関する規定のうち、その第二節を「教科一と題し、小学校の教育課程は、国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭および体育の各教科、道徳ならびに特別活動によって編成するものとすると規定する(二四条)ほか、授業時数(二四条の二)、教育課程の基準(二五条)、教育課程編成の特例(二五条の二)、履修困難な各教科の学習指導(二六条)、教育課程等の特例(二六条の二)、課程の修了・卒業の認定(二七条)、および卒業証書の授与(ニ八条)についてそれぞれ規定する。このうち、学習指導要領について規定することによってとくに問題とされているのは、二五条の『小学校の教育課程については、この節に定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとする」という規定である。
 そこで、学校教育法二〇条およびそれをうけての文部省令である学校教育法施行規則二五条は、法的にはどのような内容を定めるものなのかが論議されつつあるのであるが、その論議の中心が、学習指導要領には法的拘束力があるかという問題なのである。そして、かりにいずれかの意味で、文部大臣が決定・公示する学習指導要領に法的拘束力があるとすれば、たとえば「児童の教育を掌る」現場の教員(同法二八条四項)は、その教育を行なうに当ってこの学習指導要領に拘束をうけることとなり、公立学校の教員である場合には、法令に従う義務(地方公務員法三二条)との関係において、もしそれに従わないとき
には、地方公務員法二九条一項一号の懲戒事由に該当し、懲戒処分をうける可能性をもつこととなるのである。
 この点について、今日、文部当局側の行政解釈および一部の学説は、学習指導要領に含まれる「事項ごとの表現に応じて」その拘束力の強弱があるとしても、一般に、学習指導要領は、学校教育法の委任をうけて、文部大臣が作成し、公示したものであるから、法規命令として法的拘束力があるとしているようである。ただ、同じく法的拘束力を認めるとしても、学習指導要領が文部省告示の形式をとったことから、当然にそれが一般的全部的に法規命令として法的拘束力を有するとはいえず、「実際に学習指導要領に書かれている事項の一つ一つがすべて法規命令たる性格をもつかどうかは、実体に即して具体的な検証を経なければ断言でき」ず、「要するに、単に形式面からのみ迫るとすれば、『学習指導要領』の法的性格は、『法規命令たる性格をもつことができる』という限度にとどめておかなければならない」とする見解がある。

 室井氏の論文では小学校の学習指導要領についてのみ触れられていますが、高等学校の学習指導要領においても同様の法的性質を持つと考えていいと思います。少し古い部分もあるので条文などは確認が必要です。