全国学力テストを何のために行うのか(再掲)

学力診断テスト:国語基礎など設定正答率下回る????京都市除く府内の中2 /京都

 府教委は16日、府内の中学2年生を対象にした今年で4回目の学力診断テストの結果を公表した。国語・数学・英語の3教科で昨年11月に行い、京都市を除く府内99校の約9700人が受験。国語の基礎・基本と数学の応用・総合で府教委の設定正答率を下回った。

 まず、考えなければならないのは、今回の学力テストで明らかになった、「国語の基礎・基本と数学の応用・総合で府教委の設定正答率を下回った」というのは、全国学力テストでなければ分からないことなのかということだ。答えは、全国学力テストでなくとも子どもの学力の課題は把握できるということだ。
 全国学力テストがなぜ必要なのか。今まで各地域ごとに行われてきた学力テストと何が異なるのか。地方ごとのテストではなぜ駄目なのか。なぜ、全国一斉でなければならないのか。そういうことがほとんど問われないまま、全国学力テストは実施されようとしている。
 学力低下の問題は、確かに不安だと思う。しかし、そういう不安に駆られて、必要な議論を欠いたまま、次から次へと必要かどうかも分からないものが導入されようとしている。
 もし、犬山市教委の不参加を撤回せよと主張されるなら、なぜ犬山市だけで行えてきたことを、全国学力テストという制度(犬山市独自の取り組みよりも明らかに劣る制度)に組み込まれなければならないのか十分に説明すべきだ。
 学力低下が不安だから、文部科学省がやるから、みんながやるからそれに参加しなければいけないというのは間違っている。
 一番重要で、必要なことは、必要なときに必要な学力テストが実施でき、その結果に応じて対策を講じることのできる仕組み。そして、個別の問題にもきちんと対応できる仕組み。そういうものをきちんと構築するということだ。全国学力テストはそういう仕組みではない。
 全国学力テストには多額の予算がつぎ込まれている。だから、一度動き出すと弊害があってもすぐに止めることはできなくなる。そういうものが議論を深めないまま実施されようとしている。
 犬山市教委の判断は、そういう動きに一石を投じるようなものだ。しかし、その石はそんなに大きな波紋を広げていない。各地の教育委員会は、全国学力テストへの参加の是非をどれほど議論したのだろうか。国がやるから参加しないとね。という程度の認識なのではないか。
 いじめの問題にしても学力の問題でも、国が対策を講じなければならないという考え方があって、それに従わないと駄目なんだと一方的に非難される。しかし、それは逆転した議論であり、間違った流れだ。
 教育は国が責任を持つという言葉が、国が何もかも考え、実施なければならないという意味へと転化している。そういう流れが強めれば強まるほど、そういう方向へ行けば行くほど、地方や現場は何も考えなくなるのであり、国に頼ろうとする。それは、地方や現場の不能化を招くことになる。それでいいと思われるだろうか。
 全国学力テストがなぜ必要なのか。もう一度問い直してもらいたい。