犬山市教委は何を失ったのか(再掲)

 先ほどのエントリーで引用した議事録を読んでいて、銭谷氏の次のような発言にひっかかった。

 私ども、先ほど申し上げましたように、調査への参加は学校の設置者でございます市町村教育委員会の判断ではございますが、犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失うことになるものと考えております。

 銭谷氏は、「犬山市につきましては、今回の学力・学習状況調査でわかる、例えば、域内の児童生徒が必要な学力を身につけているのか、全国や県内の状況と比べてどうなのか、学習状況や生活習慣等を含めてどこに市としての課題があるのかといったようなことにつきまして、この調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失うことになるものと考えております。」と述べている。
 犬山市教委が全国学力テストに参加しないことで、「調査を活用して把握、分析し、施策や指導の改善を図る機会を失う」と述べている。この発言は間違っている。
 何度かこのブログでも指摘してきたが、子どもの学力について把握したければ、クラスごと、学校ごとの学力テストを実施し、それを分析し、対策を講じること。それが基本だ。そして、他の学校や他地域と比較することによって、子どもの学力やその背景にある問題が、地域特有の問題であるのか、個人の問題であるのか、教師の指導の問題であるのかを知りたければ、地域ごとの学力テストで把握することができる。
 だから、全国学力テストに参加しないことで、犬山市の子どもが不利益を被るということにはならない。
 文部科学省の行う全国学力テストは、教育行政に対する評価のために実施される。そのことを明確にしないで、子どもたちの学力が明らかになりますよ。子どもたちの学力の背景にある問題が明らかになりますよ。というような宣伝文句を用いて、本来、自分たちの施策の評価のために行われるものを、あたかも、地域ごとに実施されてきたような学力テスト、学校で日常的に行われるような学力テスト、塾などで行われる学力テストと同様のものであるかのような誤解を生じさせている。
 以前、引用したが苅谷剛彦氏は次のように指摘している。

 だが、いったい、何のための学力調査なのか。調査結果は、どのように分析され、どのような知見が導き出されているのか。それらは、教育政策や教育現場の改善にどのように生かされているのか。生かす仕組みについてどれだけ考慮されているのか。こうした点から振り返ってみても、疑問だらけの調査が少なくない。平均正答率を示すだけの調査結果の公表。それほど根拠もなくつくられたかにみえる「設定通過率」を基準に「おおむね良好」との公式見解を出す行政。子どもの意識や生活についての質問紙調査と同時に実施された学力調査も、単純なクロス表の分析や平均値の比較だけにもとづいて、例えば「朝食をとらない子の正答率が低い」といった見解が示されたりする。専門的な視点からみれば、不十分な分析しか行われていない。それが「学力調査の時代」の現状である。「ゆとり」志向が幅をきかせ、ペーパーテストの学力が忌避され、学力論議が無風となってしまった時代への反動からか、2002年以後の「学力調査の時代」はうってかわって、調査をすればよしとする風潮が蔓延しているようにみえる。それが、やったらやっただけの調査の量産を許している。

 全国学力テストについては、「いったい、何のための学力調査なのか。調査結果は、どのように分析され、どのような知見が導き出されているのか。それらは、教育政策や教育現場の改善にどのように生かされているのか。生かす仕組みについてどれだけ考慮されているのか。」というようなことが、全く議論されない。それにもかかわらず、「疑問だらけの調査」である全国学力テストが、魅力的な、いかにも改善してくれそうなものとして受け止められ、それに参加しないと子どもなどにとって大きな不利益になるかのような間違った見方が広まっている。
 子どもたちの学力やその背景にある問題を把握する。そして、対策を講じるにはどのような調査項目が必要か、どういう仕組みが必要か、どういう規模が必要か、そういう基本的な議論からはじめていくべきだ。そういう議論を各地域ごとに行うこと。それが全国学力テストに安易に参加するより子どもたちにとって大きな利益をもたらす。
 国がやるから、行政がやるから参加すべきではなく、自分たちにとって必要だから、必要なものを行う。そういう意識へと変えていくことが必要だ。
 国や行政任せではなく、当事者が集まって学力テストについて議論をやればいい。そうすることで、理解も深まるし、関心も高まるし、必要なものも見えてくる。犬山市教委は、これからも地道に説明を行っていけばいい。