学力テストは学習改革に結びつかないし、結び付けられることはない(再掲)

社説2 学習改革に学力テスト生かせ(4/21)

 この社説は、全国学力テストについてなんら理解していないし、学力テストがこれまでさんざん行われてきたこと、その結果問題が一向に解決に向かわなかったことを全く理解せずに書いている。

 子どもたちの本当の学力はどの程度なのか。「ゆとり教育」の下で学力低下懸念が広がったにもかかわらず、実はきめ細かなデータがなかった。それを求めるための全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が24日に実施される。小学校6年生と中学校3年生の計240万人が対象だ。国語と算数・数学の問題のほか、生活習慣や学習環境なども尋ね相関関係を割り出す。

 全児童・生徒を対象とする同様の学力テストは1964年度を最後に中止された。当時は点数競争の過熱を危ぶむ声があり、日教組も反対運動を展開したからだ。しかし近年は学力への不安が強まり、国際調査でもその一端が浮かび上がっていた。

 そうした流れを踏まえれば、大規模調査で学力の実態を診断する必要性は高く、40年以上も昔の経緯にこだわるべきではない。文部科学省の対応はむしろ遅すぎたほどだ。

という。まず指摘しなければいけないのは、学力テストという言葉で一般的にイメージされるのは何かということだ。日本では学力テストは相対的な評価のために実施されてきた。学力テストは他との比較で「差」を明らかにするために利用されてきた。そして、それが一般的なイメージであり、全国学力テストもそういうイメージで捉えられている。
 近年、学力テストのそれまでの役割が転換する。差を明らかにするためのものから、その子どもの学力の状況を把握するためのものへと変化した。それは、EvaluationからAssessmentへの転換が起きたということだ。
 そして、Assessmentとしての学力テストは実はこれまでさんざん行われてきている。しかし、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070414/1176482149でも書いたように、学力テストによって問題は解決する方向に向かわなかった。
 もし、全国学力テストの実施でその問題が解決されるとしたら、さんざん行われてきた学力テストは、「予行演習」という意味しかなかったということになる。これまでできなかったことが、なぜできなかったのかを問うことも無くできるようになるはずがない。

 今後の大きな課題は、結果をどう使うかである。テストでは知識を問うだけでなく、知識を活用する力も測る。現在の指導方法やカリキュラムの問題点が浮かび上がるはずだ。それをまず何よりも学習の量と質両面の改革に生かし、公教育での学力底上げにつなげてほしい。

 文科省は9月に国全体と都道府県ごとの結果を公表し、市町村や学校には個別のデータを提供する。扱いは現場に任せるわけで、分権尊重の立場からも妥当なやり方だろう。

 問題は、現場が詳細をどこまで明らかにするかだ。文科省は学校名を明示した公表は避けるように求めているが、国が統制しすぎるのも地方の教育行政の幅を狭めることになろう。市町村や学校は、「学校ランキング」などが独り歩きしないように配慮しつつ、保護者への説明責任を果たす工夫をしてもらいたい。

 まず、

 文科省は9月に国全体と都道府県ごとの結果を公表し、市町村や学校には個別のデータを提供する。扱いは現場に任せるわけで、分権尊重の立場からも妥当なやり方だろう。

これは、「分権」という言葉の意味を理解していないか、あえて間違った使い方をしているかのどちらかだろう。どのように公表するか地方や学校に任せるのが分権だと言うが、それは単に国が責任を放棄しただけ。
 もし、地方において情報開示請求が出されれば開示しなければならなくなる。それが、こちらでは認められてあちらでは認められないなどというのはできない。国なりがきちんと法律などで情報をどう扱うかを規定しない限り「市町村や学校は、「学校ランキング」などが独り歩きしないように配慮しつつ、保護者への説明責任を果たす工夫をしてもらいたい。」などという無責任なことを言われても地方や学校は困るだけだ。

 テストは来年度以降も行われるが、今回は私立校の参加は約6割にとどまり、公立も愛知県犬山市が不参加だ。無理強いはせず、趣旨を理解してもらう努力を続けるべきだ。

 まず、犬山市教委は全国学力テストの意味を理解していないから不参加なのではない。また、文部科学省は全国学力テストがいかなるものかほとんど説明してこなかったし、政策評価が目的であることを言わず、これまで行われてきたAssessmentとしての学力テストという面だけを強調し、任意参加であるとか、伝えられるべきことを伝えないまま実施しようといている。

 残念なのは、一部でテスト向けのにわか勉強をさせているケースがあることだ。こうした傾向が強まれば、ようやく復活した大規模調査への反発が強まる恐れがある。関係者にはくれぐれも自重を求めたい。

 もし、人が評価されるという場面において良い評価を望まないというのであれば、「テスト向けのにわか勉強」などしないし、させもしない。また、「テスト向けのにわか勉強」をしなくても子どもにはhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070118/1169048993で紹介した村山航氏の論文にあるように「テストへの適応」が起こる。
 全国学力テストは「政策評価」であること、そこから導き出される「説明責任」について全く理解されず、議論もされていないこと。そういう学力テストが未だにEvaluationのために行われることが期待されていること。全国学力テストは理解もされず、問題も解決されないまま、実施されようとしている。