教科書という妥協の産物
アップルは、
カリキュラムは、国の行政文章及び教科書といったテクスト(texts)あるいは教室における実践という形で、なんらかの経験を経て姿を現すが、それは単なる価値中立的な知識の集合では決してない。カリキュラムはいかなる時も、ある誰かの選択、ある集団の見方に基づく正統的知識つまり選択的伝統の中核的な部分を構成しているのである。またそれは、一つの国の国民を組織したり解体したりする、文化的・政治的・経済的な葛藤、緊張、及び妥協の産物でもある。
と指摘している。
教科書も「単なる価値中立的な知識の集合では決してない」。教科書にどのような記述がなされても、「文化的・政治的・経済的な葛藤、緊張、及び妥協の産物」でしかない。だから、教科書の記述を「絶対に正しいもの」だというように考えたり、そう教えようとするのは間違っている。教科書に価値判断させる、教科書だけで価値判断させるような教育などいらないし、それが一体何になるというのだろうか。