パノプティコン化する学校教育

 最近の教育施策の動向は、学校教育のパノプティコン化なのだとふと思った。
 何から何まで「教育的」なもので子どもを囲い、そしてその子どもたちを常に監視する誰かがいる。そして、フーコーが言うようにパノプティコン化した中にいる子どもたちは監視されていることを常に意識し、監視者の意思に支配される。
 子どもをパノプテイコン化した学校教育に押し込めることで、社会は一つの不安から解き放たれる。パノプテイコン化は、子どもが必要としているのではなく、得体の知れない子どもに恐怖を覚える大人たちが必要としている。