短絡的な見方だと思う

いじめ事例集「加害者出席停止は“効果”あり」も…文科省

 文部科学省は15日の有識者会議で、いじめに対する教育現場の取り組み事例集を公表した。そのなかで、いじめの加害児童・生徒に対する「出席停止」について成果があったとされる事例が紹介されているが、具体的ないじめの内容については「個人情報保護」の観点から触れていない。このため関係者からは「出席停止適用の参考材料にはできない」と疑問の声も上がっている。

 いじめの加害者を出席停止にしてうまくいった事例があると言うが、それによって教育再生会議の打ち出した方針が間違いではないということにはならない。
 まず、加害者が誰で被害者が誰でとはっきりしない場合、この成功事例はなんら役に立たない。また、加害者や被害者がはっきりしたいじめは、短期的なものや構図を単純化してしまえばあるかもしれない。しかし、そういうものは実際には少ない。また、こうやって成功した事例集を示されても、それを真似ればいいものでもない。
 様々な事例を集めてそれを共有するというのはいいことだと思う。しかし、そういうのが「こうやればこうなる」式の単純化された形で導入されてしまうのは間違っている。
 いじめの問題は簡単に一般化して捉えられるものじゃない。いじめの問題は個別に取り組まないといけないものだ。そして、それは教員などにとっては非常に負担のかかる、難しいことだと思う。しかし、それだからといっていじめ対策がマニュアル化され、それを安易に利用するというようなことになれば、個別の問題というのが置き去りにされる。
 いじめの問題がクローズアップされたが、それによって、いじめの問題が単純な図式で捉えられることにもなっている。規範意識の低下だとか、教員の質の低下だとか、家庭の教育の問題だとか、そういう一部の要因だけを取り出して見せて、これを解決すると良いんだという安直な対策法が幅を利かせている。
 教育再生会議などは、いじめの問題は、規範意識の低下した、質の低下した自分たち(自分たちは規範意識もあり、質も高いと思っている)以外の誰か(教員や家庭など)に責任を押し付けている。さあ、対策を打ち出したからそれを実行しなさい。うまくいかないのはあなたたちの責任だと。
 協力し合うとか、知恵を出し合うというのは、誰かの成功事例を押し付けることではないし、誰かが悪いからだと突き放すことじゃない。文部科学省などは、こうした事例集を配るだけで自己満足するのかもしれないが、現場などと協力して、もっと多様で包括的な施策を講じるべきだ。