矢内原忠雄の言葉

 戦後十年にして日本の社会には急激な復古調が見え、一時火のように燃えあがろうとした民主国家・平和国家の理想追求の姿が後退して、浅薄な肉欲文学と享楽的な大衆文化と花やかな過去を回想する軍国調とが、教育に対する官僚統制の傾向と共に足をそろえてクツ音高く進んでくる。教育者と、教育を愛する国民は、よほどしっかりしなくてはならない。

 これは、『矢内原忠雄全集』第20巻に収録されている「文教政策‐権力の干渉を排す‐」の最後の部分からの引用だ。この中で矢内原氏は次のように述べている。

 今の教育は家庭を重んぜず、また愛国心を養成しないと言って、教育に対し不満を述べ、道徳教育の必要を説き、はなはだしきに至っては教育基本法を改正しようという意見さえも責任ある政治家の口から出る始末である。教育基本法教育勅語に代わるものとして戦後に立法されたわが国教育の最高目的を定めたものであって、かりに教育勅語が不備であるからこれを改定しようという意見を戦前に述べたとすれば、その人は国賊呼ばわりされたに違いない。しかるに戦後の基本法は国会で立法したものだから、国会でいつでも修訂できると考えるならば、それは国の根本法を軽んずるものであって、教育の基本を動揺させるものであろう。いわんや教育基本法に明示してあるところの、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間を育成」すること以外に、道徳教育の目的を求めることはできないのである。愛国心も、家庭教育も、性的モラルを清くすることも、選挙の腐敗を除き、政界財界の賄賂や疑獄をなくし、国会の運営を正しく行うためにも、そういう「人間の育成」以外に根本的な道はないのである。

 矢内原氏はまた次のようにも述べている。

 教師が政治に影響を及ぼすためにとるべき最良の手段は教育である。教育者は国民の教育を通して政治にはたらきかける。それは長期を要する道ではあるが、国の政治を正しいものとするためには、どうしてもこの道によらねばならない。教育の政治的中立を維持し、日本の教育を民主主義の正しい道に進めていくためには、政府・政党が直接教育に干渉しないことはもちろんであるが、教師および教員組合も直接政治にたずさわるような、あまりにも強い政治性をもたぬことが望ましい。