2001年11月27日 参議院 文教科学委員会の質疑より

以下、日本共産党の林紀子議員と藤田英典氏の質疑の一部を引用

○林紀子君 ありがとうございました。
 次に、藤田参考人にお聞きしたいのですが、先ほど日本の教育というのは、少年の検挙人員の比率などを見ながら、欧米ではそういう意味では評価をされているんだというお話で、日本の教育のどこをどう変えるのかが大切だというお話を伺いまして、学習の中での改善というのが必要ではないかというお話だったと思います。
 ですから、これは学力というふうに狭いところではないんですけれども、きょうの新聞では一斉に教育基本法を改正するということが遠山文部大臣から中教審に諮問をされたというニュースが出ておりました。藤田参考人は教育改革国民会議の委員のお一人でもいらしたわけですので、今の日本の教育ということを考えて、この教育基本法を今後一年間かかって中教審では論議をしていくということですけれども、変えていくということについてどのようにお考えか、お聞かせいただけたらと思います。

参考人藤田英典君) 教育基本法それ自体を見直しをし、仮に改正されるということになったからといって、そのことによって私は学力が向上するとかいうことはまずあり得ないというふうに思っております。
 もちろん、いわゆる教育振興基本計画のようなものを策定するということを基本法の中に書き込むということは言われておりますが、それを書き込んでも、予算をきちっとつけて適切な政策をとらない限りは教育は改善をしない。先ほども山下議員が言われましたが、教育に十分なお金をかけ、資源を投入し、そしてケアをすると。責任を持ってやるということをやらなくして教育がよくなるはずはないと考えております。
 教育基本法の改正自体について申し上げますと、現行の基本法は教育の内容に踏み込んだものでは私はないと思います。教育は、これは公権力といいますか国家というものが枠組みを設定し、その内容についてのある程度の標準を定め、一定のものをすべての国民に、人々に与えるという形で行われておりますから、そういう公教育が特定の諸勢力によって圧力を受け、ゆがんだものにならないように、もう一方で、すべての子供たちに適切な機会が提供されるように、そして内容にかかわっては、憲法に基づき、あるいは二十一世紀に私は十分通用すると思いますが、さまざまな教育を運営する場合の基本的な理念が書き込まれていると思います。
 ですから、それにさらにつけ加えるものがあるとするならば、国民会議で出てきた内容に関して言いますと、私は、その多くが教育の内容に関して特定の内容を重視すべきだという方向に動いていく可能性があるというふうに考えておりますから、そういう意味で、二重の意味で私は改正に基本的には反対という立場を国民会議ではとりました。
 二重の意味でといいますのは、一つは、従来の内容は、いわゆる前文と一条に書かれておりますことは教育の基本的な理念を書いているわけであって、それに基づいて内容を具体的に、こういう内容をさまざまな学習指導要領、教科書に盛り込むべきだということを書いているわけではありません。
 それから、それに関連して、もしそれ以上に踏み込むことになるとするならば、これまでの教育基本法の性格が変わるということになりますから、私は、内容に踏み込むものは学習指導要領が日本にあるわけですから、そういったもので適宜適切な内容を盛り込むようにする方が賢明だというふうに考えております。

以下、(当時)自由党森ゆうこ議員と藤田英典氏の質疑の一部を引用

森ゆうこ君 自由党森ゆうこでございます。
 きょうは、大先輩の西岡先生のかわりに質問のお時間をちょうだいいたしましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
 今、山本委員の方からもお話がありましたが、大前提として学級崩壊ということのない正常な学校の状態が必要だということでしたけれども、私自身子供が三人おりまして、上は大学三年生で下が小学校六年生ですので、実際、一番下の子のクラスで学級崩壊というのを体験しておりまして、それは先生が非常に悩まれたんですが、先生方の中だけで悩まれていて、結局解決されないまま先生が随分早く退職されてしまったという大変残念な経験を持っております。
 ただ、学力低下の問題については、もちろん家庭の教育力の低下、地域の教育力の低下ということもありますが、それとは別に、やはり授業の組み立てといいますか、指導要領ということについて、これはまた別に考えなければいけないと思いますので、きょうはこの点だけに関してお話を伺いたいんです。
 まず、藤田参考人にお伺いしたいんですけれども、非常に論理的にまとめていただいて、私が思っていることをまとめていただいたという感じで、すごく感激しているんです。だから、全く同じ考えだなとさっきまで思っていたんですが、そこで先ほど基本法を変える必要はないというお話で、えっというふうに思ったんです。
 なぜそう思うかといいますと、先生が書かれている本、「市民社会と教育」の二〇〇〇年七月のところで、名誉の等価性と名誉の平等ということの違いについて書かれていらっしゃいますね。別な言葉で言いかえれば、行き過ぎた平等教育の弊害、努力と意欲ということを子供たちに持たせることに失敗しているということで。そうしますと、私としては、基本法を変える以外にこのことをよい方向に導く方法はないんじゃないかと思っていたものですから、先ほど先生の基本法を変える必要はないというお話でちょっとびっくりしたんですけれども。
 この名誉の等価性を確保するということについてどのような方法がとられるべきだと参考人はお考えでしょうか、お願いいたします。

参考人藤田英典君) まず、教育基本法を私は個人的には変える必要がないとは思っておりますけれども、具体的に案がどういうふうに出てくるかわかりませんので、しかし国民会議等で出た議論を踏まえますと、かなり内容に踏み込む可能性がありそうですので、そうなりますと問題が起こってくる危険性があるというスタンスが私の基本的なスタンスであります。現状の問題で不都合があるとは思わないわけです。
 名誉の等価性あるいは機会の平等ということですが、教育基本法に定められているのは教育機会の平等ということであって、行き過ぎた平等というふうに今批判されているようなものは、これは学校教育法等の具体的な制度設計、そしてそれ以上に個別的な教育委員会やあるいは学校や、そして保護者や地域の人たちの実践のレベルで問題が起こっているというふうに思います。
 名誉の等価性というのは、どういう学校であろうが、どういう活動であろうが、誠実な努力を積み上げ、そこでしかるべき努力をやったらその一つ一つの努力が称賛に値する、もちろんその成果も称賛に値する。しかし、競争しても、例えば甲子園へ行こうが、あるいはプロレスでやっても必ずしも勝つとは限らない、しかしそのために一生懸命努力をしたその努力は称賛に値するというのが私の言う名誉の等価性でありますから。
 これは学校の教室の中で、クラスの中で、あるいは学校全体でも、さまざまな対外的な活動であろうが、地域の中であろうが、いろんな活動に子供たちは従事するわけですから、そのさまざまな場面で称賛に値する活動を子供たちはやっている。そのことをきちっと称賛するというカルチャーを我々の社会がはぐくんでこなかったことが問題であって、あるいはある時期から失ってきたことが問題で、教育基本法の機会の平等等にかかわる規定とおよそ関係がないと私は思っておりますけれども。

森ゆうこ君 ありがとうございます。
 ただ、実際問題、本当に機会の平等であるはずが結果の平等まで求めて、実際私も子供を育てているときに、例えば劇なんかをやるときに、赤ずきんちゃんとオオカミさんだったら、オオカミが五人いるとか、赤ずきんも二人いるとか、それから百メートルの五十メートルまでは競走して、最後はみんなで仲よく手をつないでというのも実際に見ています。
 そういう状況がありますので、これをやはり改善して、本当にきちんと努力が評価されるということが行われないと、子供たちは、まあやってもしようがないというよりも、むしろほかの人たちより目立ってはいけない、みんな同じでなきゃいけないということで非常に気を使っていまして、これが努力というものをそいでいる、意欲というものをそいでいると思いますので、それをやはり具体的に改善するための手だてというのを考えなければいけないと思うんですが、その辺についてのサジェスチョンがありましたらお願いいたします。

参考人藤田英典君) 今おっしゃられた赤ずきんちゃんやあるいは五十メートル走とか、これも私も本の中でも書きましたけれども、明らかに行き過ぎたといいますか、不当とも言えるような平等主義とか一律の扱いということをやっていたことは事実ですよね。こういう傾向が強まったのは、一九七〇年代の後半ぐらいから徐々にそういう傾向が出てきたわけです。
 例えば、それの背景といたしましては、高校入試におけるさまざまな内申書重視の方針でありますとか、いろんなことが強まる中で、公平性なり何なりを求める親御さんやさまざまな圧力があったというふうに思いますから、この問題はなかなか難しいと思いますが、徐々に変わってきていると思います。五十メートル走で、四十メートル一生懸命走った、あとは仲よく手をつないでゴールインなんということを今やっている学校はどんどん少なくなっていると思いますから、こういうのこそマスコミやあるいは保護者の方々や地域の人たちがどんどん学校を変えていくべきであります。
 現在、そういう意味で学校が、評議員制度の問題もそうですし、さまざまな形で地域へ開くための制度的な設計はできておりますし、情報公開法も成立しておりますし、あるいは地方分権一括法も成立しておりますから、いろんな形でそういう可能性は出てきているわけですから、むしろそういう住民参加やあるいは保護者の、先生方のオープンな学校づくりというものをつくり出すアピールを地域やマスコミでやっていくべきだと思いますけれども。