公教育を疲弊させているものは

社説 活力ある成熟国をめざして(5) 分権・自由化で意欲に満ちた教育の場を(5/8)

 この社説では、

 いったい、何が公教育を疲弊させているのだろうか。大きな問題点は、国による画一的統制の下で、地方や学校で十分な創意工夫ができない現状があることだ。文部科学省は戦後、学習指導要領で教育内容を細部に至るまで拘束し、教科書検定では記述を厳重にチェックしてきた。教員の養成は教育学部系大学の養成課程と免許制度によって一元化している。同時に、義務教育費国庫負担金制度によって地方が独自の学校づくりをする裁量を限定してきた。

と述べているが、その認識は一部では正しいがすべてが正しいのではない。
 確かに、文部省(現在の文部科学省)は細かいところまで口を出して教育は硬直化していた。しかし、それを打破するために持ち込まれたのは、「地方分権」ではなく、「教育の私事化」だった。権限や予算を地方に移譲するのではなく、個人が選択し、その責任は個人が負うということを推進してきた。それによって公教育は疲弊してきた。
 社説では、

 この状況を変えるために、学習指導要領を思い切って簡素化・大綱化し、文科省は最低基準を示すだけにすることをまず提案したい。これにより現場に大きな裁量が生まれ、子供の個性、能力、習熟度、地域特性などに合わせた授業が展開できるようになるはずだ。教科書検定も少なくとも高校では廃止すべきだ。地方への教育財源移譲もさらに進め、分権の土台を整える必要がある。

 同時に求められるのは、学校選択制の拡大と、学校への外部評価導入である。公教育は学校間や教員間の競争を忌避してきたが、社会のなかで独自性を競う風土を育てるべきだ。教員免許を持たない社会人の登用も現場の活性化を促す方策となる。経済財政諮問会議の民間議員は、学校選択制の下で、各学校が自助努力で集めた子供の数に応じて予算を配分する「教育利用券(バウチャー)制度」の導入を提言、政府の規制改革・民間開放推進会議も今年度の重点課題に据えている。これも改革の延長線上で試行に値するだろう。

ということを述べているが、これも見当違いだ。
 競争のためには厳しいルールとその厳格な運用が必要となる。そうしなければ、公平で公正な競争ができないからだ。学力テストの導入はまさにルールを厳格に運用するためのものであり、学習指導要領はそのためのルールだ。そこから逸脱したものに対しては罰が与えられる。学習指導要領の大綱化はそのルールの範囲を曖昧にしてしまうことにつながる。それは競争を阻害するという批判が必ず出てくる。
 また、教育バウチャー制度については、教育バウチャーに関する研究会の議論を見れば分かるが、望ましい結果は得られない。
 この社説では、地方分権と私事化を混同している。教育基本法には地方分権は示されていない。国がルールをつくり、それを運用する。予算も握る。地方はハード面の整備と負担を押しつけられている。その教育基本法とこの社説の主張は食い違っている。
 4月28日のエントリーに引用したものを読んでもらえばこの社説の主張が決して正しく無いということが分かってもらえると思う。