経済界が望む教育とは

 前のブログで紹介したことがあるのだが、永野重史氏の「変化した心理学と「学力」のとらえ方」という論文で、D.P.キーティングが「産業社会」と「情報化社会」2つの社会における教育の特徴を指摘したものを表にまとめてあった。それをもう一度紹介したい。

 産業社会では、

  • 教育:知識の伝達
  • 学習の形態:個人的
  • 教育の目標:少数者には概念的理解、大多数には基礎技能とアルゴリズムの習得
  • 人の多様性:生得的なもので絶対的
  • 人の多様性に対する扱い:エリートを選択、残りの大多数には基礎的学力
  • 予想される職場:工場をモデルとした職場、縦型の官僚制

 情報化社会では、

  • 教育:知識の生産
  • 学習の形態:協同的
  • 教育の目標:すべてのものに概念的理解と意図的な知識の生産
  • 人の多様性:相互作用的(transactional)、歴史的
  • 人の多様性に対する扱い:多数の人々に対して発展的な考え方による生涯学習
  • 予想される職場:協同学習をする組織体

 経済界が望んでいるのは「産業社会」の教育ではないだろうか。例えば、中国は産業社会型の教育を今必死になって取り組んでいる。経済界はその姿を見よという。中国に後れをとるなと。
 だが、中国と日本では状況が異なる。それなのに同じような教育が必要だと言われる。経済などがグローバル化しても国ごとに状況は異なる。必要としている人材も異なる。教育も異なるはずだ。中国や韓国がエリート教育をしているのに日本でやらなくても良いのか。というのは自国の状況を無視したものだ。中国や韓国と同じ教育をする必要が本当にあるのだろうか。
 変化に対応するときに他国を参考にするのではなく、他国がやっているからこちらもやるというのは、積極的に変化に対応するのではなく、人の真似でしかない。