「拠り所」としての学校

 今日、母校の小学校の閉校式が行われる。以前、少しブログに書いたこともあるけれど、その学校は島にある学校で、過疎化で子どもの数が減って今年度で閉校することになった。中学校は数年前に閉校になっている。その小学校の閉校記念誌に文を書いて欲しいと依頼され、学校の思い出話ではなく、次のようなことを書いた。

 学校は、そこに通っている子供たちやその家族だけでなく、たくさんの卒業生や島民の人たち、勤務されていた教職員の皆さんが関わって今日まで続いてきた。その学校はそういう人たちの「拠り所」である。人が寄り集まる場所であり、心の拠り所でもある。その学校が閉校になるということは「拠り所」を失うことでもある。

 そして、

小学校が閉校した後、残された校舎が単なる廃屋になるのではなく、様々な形で利用され、人が寄り集まる「拠り所」として再スタートできればと思う。

ということも書いた。
 遅くなりましたが、今回の地震津波の被害を受けられた方々、命を落とされた方々にお見舞いとご冥福をお祈りいたします。今回、こういうことを書いたのは、今、そして、これから「学校」が果たす「拠り所」としての役割について強調したいと思ったからだ。特に、被災した子どもたちにとって学校の「拠り所」としての役割は大きい。
 日が浅くて、学校を再開するということは考えられないかもしれない。しかし、子どもたちにとって「学校」に寄り集まり、友達、仲間と、学び、遊んで過ごすということが今こそ必要なことのように思う。被災した子どもにとって「学校」は先に進むための支えになるべきだ。
 普段は、学校は「学力」をつけることを中心にイメージしがちだ。けれど、ここで言いたいのは、そういうイメージの学校ではなく、人が寄り集まる場所であり、心の拠り所としての「学校」ということだ。施設や器具といったハードウェアがなければ「学校」が再開できないのではない。「学校」はどこでも、どんな形でも再開できる。少人数でも短時間でもいいから子どもたちが集まる「学校」を再開すること。それを今こそ考えてもらいたい。子どもだけでなく大人が参加してもいい。「学校」が再開されれば、その学校は「拠り所」となり、再建、復興を支えていくと思う。