テストの意味を考える必要がある

【学力テスト】「当面は抽出」に不満の声「議論深められなかった」

【学力テスト】根強い批判も「抽出方式」継続へ 専門家会議が報告書案公表

 ある日の会話
「全国学力テストが抽出調査になるそうですよ」
「これじゃ子どもの状況を把握できなくなりますね 何を考えているんだか」
「現場のことなんか何も考えていませんね 今度の期末テストの問題どうします?」
「適当で良いんじゃないですか 期末テストは子どもの状況を把握するものじゃないから」
「今度,県の学力テストもありますね あれも現場のことを考えてない」
「あれも子どもの状況を把握できませんからね」
「県の教育委員会もそう言ってますよ 全国学力テストじゃないと駄目だって」
「そうなんですか? 全国学力テストが悉皆調査になるのが一番良いんですけどね」
「あれしか子どもの状況を把握できませんからね」
「あれが無いと こちらは何の対応もできませんから」

 こういう会話は現実にはあり得ないこと。だけど,全国学力テストを巡る議論では,会話と同じような主張を時々見聞きする。
 全国学力テストが抽出調査になると参加しない,できないところが出てくる。そこの子どもたちはどうやって状況を把握するのか。状況を把握できなければ対応もできない。どうしてくれるんだと。
 どうしてくれると主張している人に言いたいのは,都道府県や市町村などの各自治体,各学校,各クラスごとなど,様々なレベル,様々な規模でいくらでも子どもの状況を把握することができるのではないかということ。全国学力テストが何を目的とするのか。それは誰が必要とするのかを考えてみてほしいということ。
 テストは,レベルと規模によって,目的も誰が必要とするのかも異なる。全国学力テストに何もかも詰め込もうとするのは間違っている。個々の子どもの状況を把握するという目的を全国学力テストが持つ必然性や妥当性,合理性はどこにあるのか。
 テストをあまりにも安易に考えすぎていないだろうか。そして,テストへの幻想をあまりにも持ちすぎていないだろうか。全国学力テストの意味をもう一度考えてみたらどうだろうか。