全国学力テストへのマスコミの無理解

国学力テスト 性急な見直しは禍根を残す(10月18日付・読売社説)

 産経新聞も読売新聞も全国学力テストについてあまりにも無知で無理解なのではないか。
 まず,両者に共通しているのは日教組という言葉を持ち出し,合理的な判断をしなくなるところだ。日教組が反対していようが賛成していようがそんなものは関係ない。全国学力テストが合理的であるか,妥当であるかというところで議論すればいいこと。その程度のレベルでしか教育政策を考えない体質が教育政策を誤らせていることに気付くべき。
 費用対効果の問題で見直すことを疑問視しているが,悉皆調査の場合,出題できる問題数,出題できる教科数,準備・検証などにかかる労力,経年変化の比較ができないなどのデメリットがある。もし,同額の予算と労力を確保できるならば,NAEPやPISAのような抽出調査の方がメリットが大きい。NAEP方式であれば,出題できる問題数,教科数の増が見込める。また,経年変化も容易になる。抽出調査の場合,一回の調査で様々な調査項目を調査できるので負担の軽減になる。そうしたことはNAEPやPISAについて調べればすぐに分かること。費用対効果で考えれば,メリットの大きい抽出調査を選択するのは合理的で妥当な判断ではないか。
 また,議論が拙速であると指摘しているが,全国学力テストの実施の決定と実施方法の選択という一連の議論も拙速なものだった。以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080918/1221675430http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070423/1177280491で指摘したけれど,全国学力テスト実施までの過程は拙速なものであり,合理的で妥当な判断がされなかった。方針転換が拙速と指摘するならば,実施に至るまでの議論にも目を向けてほしい。拙速な見直しを指摘するならば,NAEPのような全国学力テストを恒常的に見直すための専門機関の設置も提言してほしい。戦略のない全国学力テストを続けるのは意味がない。
 そして,全国学力テストが抽出調査になるという報道とそれに対する次のような主張にはどうしても同意できない。それは地方が全国学力テストをきっかけにして取り組み始めているのにどうするんだというような主張だ。これまでやってきたことが台無しになるようなことがなぜ起こるのだろうか。以前,地方が独自に学力テストを実施していた。それが全国学力テストにどれだけ生かされているだろうか。生かす道を探ることもなく,全国学力テストに依存したのは地方の方であり,全国学力テストが抽出調査になるなら,独自の調査を行うことを議論しても良いのではないか。自分たちに何ができるか,何をすべきか。それをもう少し真剣に考えてみたらどうだろう。大きなものに依存しているだけの体質こそ批判されるべきだし,変えていくべき。地方が独自に調査を行うなら国に予算をつけるように要求しても良いではないか。教育は個人の利益のためではない。もし,地方がやるから国は関係ないと言うならそれは間違っている。国が抽出調査に切り替えて削減できる予算をそちらに回せと要求してもいいではないか。犬山市の全国学力テストへの不参加を奇異の目で見ていたマスコミや地方は,自分たちで独自にやるということさえ思いつかないのかもしれない。
 教育政策が合理性や妥当性を最優先して決定されていく方向に変えていく必要がある。全国学力テストという大きな風呂敷の中で学力向上ごっこを続けたいマスコミと地方を,風呂敷の上から外に出すことから始めないといけないのかもしれない。