学力テスト縮小 不安なのは全国学力テストへの無理解と誤解だ

【主張】学力テスト縮小 不安な日教組寄りの転換

 この社説にはデタラメがたくさん盛り込まれている。

抽出方式の学力調査はこれまでも行われている。専門家も指摘するように抽出方式では参加しない学校、児童生徒は課題が分からず、意欲も削(そ)がれる。学力向上策として不十分だ。

 まず,

抽出方式では参加しない学校、児童生徒は課題が分からず、意欲も削(そ)がれる。

というが,なぜ全国学力テストで子どもの課題を見つけたり,意欲を喚起したりしなければならないのか。全国学力テストではなく,各自治体や各学校や各クラスでそうしたことは十分にできるではないか。もし,それが全国学力テストでなければできないなどというデタラメを主張する教育関係者や専門家がいるなら,それは,単なる無理解か誤解か,自分たちで考え,必要なことをやるということを放棄しているだけのことだ。

専門家も指摘するように

というのは,これがhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20091015/1255544632で取り上げた梶田氏のコメントのことを指しているのだと思う。けれど,そのコメントの内容は専門家のコメントとしては短絡的で間違っている。

ゆとり教育学力低下が批判され、自治体独自に学力テストを行うケースが増えていた。首長の中からも全国学力テスト存続を求める要望が出ている。

というが,自治体が独自に行っていたことを国がやるからといってそれに依存している。その地方の教育委員会などの姿勢は批判されるべき。自分たちがやってきたことの財産を生かすこともなく,大きなものにただ巻かれて右往左往している。そうした姿勢は,教育の地方分権の妨げるものでしかない。犬山市のような独自の取り組みさえ,全国学力テストに巻き込む形で台無しにしてしまう。

先ごろ、鳥取地裁は市町村・学校別成績の開示を認めた判決で「序列化などの問題は生じておらず、開示しても過度な競争の恐れは乏しい」と判断した。
政府の規制改革会議の調査では、保護者の約7割が学校別の成績公表を望んでいる。過度の競争が起こるというのは杞憂(きゆう)で、成績が悪いと批判されるのを恐れる教師や学校の言い訳にすぎないのではないか。全国学力テスト復活後、秋田と沖縄の教員交流が始まり、大阪では知事の号令によって学力向上に取り組んでいる。こうした競争を歓迎したい。

というが,NAEPやPISAでは調査結果で競争させなければならないとか,競争できなければ意味がないというようなことは主張は出てこない。それは当然のことで,そうした調査は競争を目的にするものではないからだ。全国学力テストも同じことだ。競争の必要のないもので競争せよという主張こそ間違っている。

 民主党政権の教育施策は、ほかにも教員免許更新制を廃止するなど日教組の主張に沿ったものになりつつある。競争や評価を嫌うのは教育改革の妨げだ。
 教師にはいま、子供の意欲を引き出す豊かな人間性や洞察力が求められている。10年ごとの免許更新制は独りよがりの授業をしていないか、ベテラン教師も指導法を見直す機会として有効だ。
 教員養成課程6年制については、教育関係者からも反対がある。大学院を無駄に増やし、頭でっかちの教師ばかりつくることになるのではないか。

 産経新聞のこの社説のように,全国学力テストについてデタラメを並べ,日教組を安易に持ち出し,不安を煽り,無理解や誤解を生じさせる方が教育改革の妨げになる。教師にはこうしたデタラメに右往左往しない「人間性や洞察力」を身につけてもらいたい。教育について,デタラメや非常識で頭がいっぱいで,頭でっかちの産経新聞にこそ問題がある。