悉皆の全国学力テストはこんなデタラメをならべても維持すべきだろうか

国学力テスト 40年前にも日教組の反対で抽出に

 この記事の最後の方にある梶田叡一氏のコメントは,専門家である方のコメントだとは思えない。梶田氏は,

「全員では子供一人一人の学力や弱点についての情報が学校や本人にフィードバックされるが、抽出ではそれがない」

と述べている。しかし,現行の悉皆の全国学力テストでなくても学校や個々の子どもの学力は調査できるし,必要な情報はフィードバックできる。だから,抽出調査に反対する根拠にはならない。梶田氏がここだけコメントしたのだとしたら専門家の意見としてはあまりにも短絡的だ。もし,産経新聞がそこだけ取り出したのだとしたら,産経新聞が無知なだけだ。悉皆の学力テストは,こうしたデタラメを根拠にしてでも維持すべきものだろうか。
 よく,悉皆の全国学力テストで自分の位置を知ることができるとか,課題を知ることができるなどと言われる。しかし,個々の子どもに渡されるものを一度見てもらいたい。それを見て子どもが自分の位置や課題を知り,それを生かすようなものでないことが分かるはずだ。
 それだけではない。松下佳代氏は
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のなかで

パフォーマンス評価では,パフォーマンス課題の開発やルーブリックの作成・採点を教員集団で行うことによって,教師の専門的力量の向上や教員同士の同僚性の構築にも役立つことを目指しています。しかしながら,全国学力テストでは,教師はこのような機会を奪われています。教師は採点基準の作成や採点から切り離されているだけでなく,子どもの解答と採点基準・採点結果を見比べて,追認的に個々の子どもの学力を把握することすら困難です。答案は返却されず,返却されるのは設問ごとの正誤と正答数のみだからです。

ということを指摘している。全国学力テストに当初参加をしなかった犬山市教育委員会は次のような工夫をしている。この記事(http://www.asahi.com/national/update/0416/NGY200904160009.html?ref=rss)には

原則として、学力調査に参加する全児童生徒の答案をコピーしておく。どの問題について採点するかや、採点する対象を一部の児童生徒にするか、全員にするかなど、細部については各校が判断する。採点の期間は定めないが、市教委事務局は「あまり遅くなると目的が達成できない。遅くても調査後2週間くらいまでには採点することが望ましいだろう」としている。採点した結果は、教師が改善の材料として使い、児童生徒には返却はしない。

とある。これはこれでよく考えた取り組みだ。けれど,それは全国学力テストに参加しなければできないことではないし,全国学力テストだからこそそうした手間のかかる工夫が必要になる。
 はっきり言えば,全国学力テストで自分の位置を知ることができるとか,課題を知ることができるなどという主張は,単にランク付けされたり,正解か間違いか,それだけを見て自分の位置や課題を知ることができたと思いこんでいるだけだ。それは,悉皆調査のデメリットに目をつむってまで行う必要性の根拠にはならない。
 また,悉皆調査から抽出調査になると評価の意味が薄れるというような主張がある。しかし,そうした評価の機能は国の調査に持たせる必然性はなく,各自治体や学校,クラスにおいて行う調査にその機能を持たせればいい。
 しかし,今の地方の教育委員会http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20090921/1253476341で書いたけれど,地方の教育委員会ができることを考えたり,やっていこうという姿勢が欠如している。それは,全国学力テストに依存した地方の教育委員会不能化でしかない。
 全国学力テストの抽出調査への変更は後退であるかのように言われる。しかし,それは違う。抽出調査の方が調査項目数,経費,信頼性が増加または向上する。抽出調査についてはPISAやNAEPなどの前例がある。抽出調査のメリットはそれを見れば知ることができる。また,その前例を踏まえて手法を開発・改善することもできる。抽出調査への誤解や言いがかりは,そうした前例をきちんと見れば減るはずだ。
 日教組という言葉は魅力的だ。その言葉を持ち出せば,妥当性や合理性を軽視しても日教組の主張することと逆のことをすべきという短絡的な主張がまかり通ってしまう。全国学力テストについて,日教組に関係なく,妥当性や合理性で判断できないだろうか。全国学力テストは政治のおもちゃではない。全国学力テストがその程度のレベルで議論されるのは間違っている。
 全国学力テストは,競争の必要な調査ではないし,個々の子どもの状況を把握する必要のある調査でもない。国が調査の主体である以上,NAEPのように教育政策の評価・改善のための調査にすべき。抽出調査にしても,その調査の意義は失われない。国がオールマイティーな調査をする必要はないし,現行の悉皆の全国学力テストはオールマイティーな調査ではない。全国学力テストで何となく評価されている,評価している気分になっている今の状況はおかしい。