全国学力テストという競争のための道具
学テ、全員方式は中止へ=15日までに大枠?川端文科相
全国学力テストは競争のための道具でしかない。教育政策の立案や実施において必要な調査ではない。抽出調査では競争できないから意味がないという恐ろしくおかしな意見がはびこっている。
OECDのPISAやアメリカのNAEPは抽出調査だ。PISAやNAEPの関係者に対して,抽出調査では競争できないから意味がないとか。競争を否定しているとか,どんだけゆとりなんだよとか,教師や学校,教育委員会が評価されるのを嫌がっているんだというようなことを言えば,苦笑するだろう。
国が教育政策を立案し,実施する。その評価を行うのなら競争は必要ない。しかし,全国学力テストは競争ができなければ意味がないという。その時点で全国学力テストは行政にとって必要な調査ではなくなっている。国がそうした調査を行う意義は失われている。
教育政策がその場しのぎであったり,つぎはぎであったり,次々と変更されたりする。いわゆるゆとり教育が失敗だったというならその原因は教育政策の立案や実施において評価をする視点が欠けていたことにある。
評価のないまま成否が決められ,要因を探ることなく要因が決められ,対策が講じられてきた。全国学力テストはそうした状況を一変させ,評価の視点をきちんとプロセスの中に位置づけるもののはず。けれど,そうしたことより競争が優先される。それは間違っている。
抽出調査への偏見もある。アメリカのNAEPは意図的に抽出をしないような仕組みがある。そうしたものをきちんと見て抽出調査を考えるべきだ。
全国学力テストを競争の道具としてしか見なさない。そういう状況を抜け出さなければ,教育政策に評価の視点は位置づけられない。競争がない全国学力テストは意味がないという主張が意味がないということを言いたい。