評価できないものが評価できるというおかしな話

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 これらの記事に寄せられているコメントに,全国学力テストの結果で学校や教師の評価が可能であるかのように捉え,それを開示しないのは自分たちが評価されるのが怖いからだというものがある。それはおかしな話だ。全国学力テストの結果のどこを見たら学校や教師の評価が可能だと考えられるのだろうか。
 全国学力テストは,提灯と釣り鐘を比較するようなものだ。そんなもので学校や教師が評価できるのだろうか。学校や教師を評価しようと考えるなら,その為の仕組みが必要になる。全国学力テストのどこにそうした仕組みがあるのだろうか。全国学力テストは学校の評価や教師の評価に使えるものではない。結果の開示はそれを前提にしておくべきだ。
 アメリカのNAEPもOECDPISAも,評価できないものが評価できるとは言わない。それは信頼性の問題だからだ。全国学力テストでは,評価できないものが評価できるという主張が必ず出てくる。そのおかしさに気付くべきだ。