全国学力テストと地方教育行政の思考停止

’09政権交代:全国学力テスト実施方法見直し 道教育長「継続を」 /北海道

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高橋教育長は全員対象の現行方式について、(1)教育委員会や学校が(授業などの)取り組みの検証・改善を図れる(2)児童生徒一人一人がどの程度学習内容を理解しているか分かる−−などとメリットを挙げ、現行方式の継続が必要であるという認識を示した。

高橋教一教育長の認識は間違っている。また,

学力テスト、民主政権なら「全員」から「抽出」に?

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自治体の教委からも「全員調査なら学校単位で経年比較もでき、教え方をチェックするには最適」(宮城県)との声が聞かれる。

という認識も間違っている。
 二つの記事を読むと,地方の教育行政は全国学力テストに依存することで思考停止しているのではないかと思う。そう考える理由は,両者ともとても小さなところの取り組み(教育委員会や学校の(授業などの)取り組みの検証・改善,児童生徒一人一人がどの程度学習内容を理解しているか,学校単位での経年比較,教え方のチェックなど)ための調査が自分たちでもできるのにも関わらず,妥当な根拠を示さずに現行の全国学力テストの維持を主張しているから。
 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20090522/1242924199

 犬山市は今年度初めて全国学力テストに参加した。犬山市教委は自分たちで採点をし,課題をそこから見つけ出そうとしている。ここで疑問に思うことがある。なぜ彼らは全国学力テストに参加しなければならなかったのかということ。全国学力テストに参加していなくても同じことはできる。それなのになぜ全国学力テストに参加するのか。
 もしも,全国学力テストに参加したことで今回のことができたと誇るのだとしたら,それは大きな勘違いをしている。犬山市教委に限らず,各教委はこれまで独自に評価の仕組みを構築しようとし,試行錯誤してきた。しかし,それが今,十分に生かされているとは言えない。
 これまでの成果を蔵に仕舞い込んで,全国学力テストというイベントに参加し,使い古した言葉の並ぶ分析結果,使い古した対策を講じ。競争せよ,競争しなければ良くならないというかけ声に踊らされ。毎年毎年イベントを繰り返している。全国学力テストというイベントを繰り返すことで何となく何かをやった気持ちになり,満足しようとしている。
 全国学力テストは,各自治体のこれまでの取り組みをどれくらい生かせるのか。これまでの成果を生かそうとする教委がどれほどあるのか。そうしたことを多くの教委は棚上げにしている。

ということを書いた。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070410/1176134342では,

 全国学力テストについては、「いったい、何のための学力調査なのか。調査結果は、どのように分析され、どのような知見が導き出されているのか。それらは、教育政策や教育現場の改善にどのように生かされているのか。生かす仕組みについてどれだけ考慮されているのか。」というようなことが、全く議論されない。それにもかかわらず、「疑問だらけの調査」である全国学力テストが、魅力的な、いかにも改善してくれそうなものとして受け止められ、それに参加しないと子どもなどにとって大きな不利益になるかのような間違った見方が広まっている。
 子どもたちの学力やその背景にある問題を把握する。そして、対策を講じるにはどのような調査項目が必要か、どういう仕組みが必要か、どういう規模が必要か、そういう基本的な議論からはじめていくべきだ。そういう議論を各地域ごとに行うこと。それが全国学力テストに安易に参加するより子どもたちにとって大きな利益をもたらす。
 国がやるから、行政がやるから参加すべきではなく、自分たちにとって必要だから、必要なものを行う。そういう意識へと変えていくことが必要だ。

ということも書いた。
 全国学力テストは,地方行政において「子どもたちの学力やその背景にある問題を把握する。そして、対策を講じるにはどのような調査項目が必要か、どういう仕組みが必要か、どういう規模が必要か」といった議論を行う場所や機会,「自分たちにとって必要だから、必要なものを行う。」という意識を失わせることに大いに貢献した。
 地方の教育行政の関係者から,現行の全国学力テストを維持すべきという主張が今後も出てくると思う。そのたびに次のようなことを聞いてみたい。「それは,地方ではできないことなのか。」「なぜ,そうしたことを自分たちでやろうとは考えないのか。」と。