教育で政治してやるぞな人たち

教員免許の更新制度廃止へ 民主・輿石氏が明言

日教組の主張通りへの一歩に 免許更新制廃止

教員免許更新、廃止へ 民主・輿石氏 通常国会に法案も

 こういうことがいつまで続くのだろうか。以前も書いたけれど,教育は政治と切り離せないものだと思う。けれど,教育政策の是非などが政治の駆け引きのなかでばかり論じられ,きちんとした根拠などを示しながら是非を論じることが行われないのはおかしい。
 日教組がどんな主張をしても,それが合理的でなかったり,妥当でなかったりするならそれをきちんと批判すればいい。そうした批判ではなく,単に不安だとか,その政策の是非には直接関係ないことを持ち出して批判している。そうした批判の仕方が教育政策をきちんと議論する場と機会を失わせている。日教組もそうした批判をする人もどちらも「教育で政治をしてやるぞ」な人たちだ。日教組が賛成するからとか,反対するからとかそんなことはどうでもいいこと。それと切り離して,教育政策の妥当性や合理性をきちんと議論できるようにしてほしい。
 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070519/1179520866で紹介した自民党有志の提言の冒頭に,

 教育改革の議論はどうもかみ合わないものが多い。教育が目指すべき理想の人物像は人により異なり、また学校教育に対する認識も世代間で異なる。自らの体験に基づく個別論や、ワイドショーなどのメディアが伝える教育問題に基づく印象論が、往々にして教育改革の議論のベースになりがちである。教育論議は水かけ論や精神論、神学論争に陥りやすいのだ。自民党の教育関係の会議に出ていると、時として個人的な体験談や思い出話をもとに国家の重要政策である教育政策が論じられることに驚く。
 また、昨年の教育基本法改正の審議では、やたらと「愛国心」の扱いばかりが注目され、まるで教育論争よりもイデオロギー論争だった。こういったかみ合わない教育改革論こそが、日本の教育政策の混乱を招き、ひいては現場の教職員の負担を増やす一因ではないか。

とあるけれど,そうした状況が相変わらす続いている。
 提言では,「印象批評や感情論を排し、建設的で現実的な改革」や「客観データや先行研究を踏まえた合理的な教育政策」のために必要なことが何かを論じている。提言の最後に

 教育改革は多くの国民が強い関心を持っているからこそ、わかりやすくてインパクトのある改革が好まれる。しかし、インパクトだけを重視して過去の教育実践を全否定したり、ごく一部の教員の不祥事を取り上げて教員バッシングに走ったりすれば、現場の教員の士気を下げ、ますます状況を悪化させかねない。
 一見良さそうな印象論や体験談に基づく改革論議ではなく、地道なデータの収集や実践の積み重ねの上に教育改革の議論を進めることが大切である。華々しく急激な改革と、地道で時間がかかる息の長い改革を区別し、多少わかりにくくても、複雑な問題を安易に単純化することなく、丁寧に厳密に議論を積み重ねていくことが必要である。
 委員の人選や事務局の体制を再編成し、議論の前提をそろえ、問題の原因を緻密に追究した上で、方向性を定め、目標を具体的に設定しなくてはいけない。また、教育にできることと、できないことを区別し、教育の限界と可能性を議論すべきである。

とある。教育政策が,教育で政治してやるぞな人たちに左右されるのではなく,提言にあるような丁寧で厳密な議論の中で作られ,それが実行されるようにすべきだ。