評価してやるぞ症候群 評価できるんだぞ症候群
この記事やこの記事に寄せられているコメントを読んでいると,ザ・ブルーハーツの「青空」の歌詞を思い出す。「いったいこの僕の何が分かるというのだろう」というところだ。
全国学力テストの結果が開示されると必ず出てくるのは,県別,市町村別,学校別,クラス別,個人別の結果を開示せよとか,それらの結果を開示しなければ意味がないというもの。さらには,そういうものの結果を開示することで,教師の力量などが評価されるというようなことまで言われる。それは,「評価してやるぞ症候群」「評価できるんだぞ症候群」だ。
全国学力テストで「いったいこの僕の何が分かるというのだろう」か。以前も同じようなことを書いたのだけれど,学力調査は調査したいことがあらかじめ決められていて,それを調査する仕組みがきちんとあってこそそれが調査され,評価できる。けれど,全国学力テストはそうした限界さえ無い魔法の杖のように考えられている。調査できないことが,なぜか調査できると考えられ,その杖を振りかざして評価してやるぞ,評価できるんだぞと迫ってくる。
全国学力テストは,魔法の杖ではない。評価してやるぞ,評価できるんだぞと迫ってくる方々は,全国学力テストで「いったいこの僕の何が分かるというのだろう」という問いかけにどうお答えになるだろうか。