社会と教育の関係

“科学する心”どう育てる? 理科ばなれ対策シンポ

 この記事を読みながら,そういえばと思い出した記事がある。

【話の肖像画】日本が危ない!(上)評論家・ジャーナリスト 立花隆(68)

 立花氏は,この記事の中で

今回、物理と化学の2分野で一度に4人もの日本人がノーベル賞を受賞するなんて前代未聞の快挙でした。しかし日本がこれからも科学技術大国たりえるかといったら、はなはだ疑わしい。そんな危機感を持っているからです。

と述べている。冒頭に上げた記事にあるように「科学する心」を「教育」で育むことができても,その先にある「社会」が「科学する心」を支え,さらに育むものでなければ「教育」は徒労に終わる。教育の問題を考えるとき,そこには教育と社会との関係を考える視点が欠かせない。教育は教育の中だけで完結しない。
 日本が「科学技術大国」というものをこれからも目指すというのなら,多くの人がその目標を共有し,その為の社会の姿を模索していく必要がある。教育の姿もそれに連動していく必要がある。そのためには,教育と社会が断裂している状況を変える必要がある。それは,単に教育が一方的に変わることを意味しない。
 教育と社会との間には「相互作用」がある。教育から社会に広がるもの。社会から教育に広がるもの。両方がある。冒頭に上げた記事の取り組みが社会にまで視点を広げて取り組まれていくと良い。新しい展開を見せそうな

科学技術コミュニケーション: 解説から批評へ

のようなものもある。これらが,立花氏の主張にあるような「知的亡国論」を越えて広がっていけばいいなと思う。