「ゆとり教育」という幻想

長谷川洋三の産業ウォッチ カーティス教授の危機感: ゆとり教育で日本の教育悪くなった

 これまで「ゆとり教育はパッチワークのようなもの」と書いてきた。カーティス氏の持っている「ゆとり教育像」は,様々ながらの一部に過ぎない。よく,「ゆとり教育」の理念は間違っていなかった云々ということが言われたりするけれど,「ゆとり教育」の「理念」というものがいつ,どこで明確に示されたのだろうか。
 「ゆとり教育」に明確な理念があり,それに基づいて取られてきた統一された教育政策があるなら,カーティス氏の批判も肯けるかもしれない。しかし,カーティス氏の言う「ゆとり教育で日本の義務教育の水準は低くなり云々」というのは,「ゆとり教育」という曖昧な,幻想のようなものへの批判であって,そこから何か解決につながるようなことが見出されるとは思えない。
 「ゆとり教育」はパッチワークのようなもの。それを批判するには,それぞれの柄をきちんと見る必要がある。そうでなければ「ゆとり教育」という幻想は批判をスルッとかわしてしまう。