取るに足りないなんておかしい

「一斉学力テストは違法」と、日弁連が世迷いごと

 まず,全国学力テストの問題点についてはhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080308/1204916582などで指摘してきたので省略します。
 今回取り上げたいのは,

日弁連が一斉学力テストに反対する理由は「学校に過度の競争をもたらし、教師の自由で創造的な教育活動を妨げる」というものです。そのような弊害も皆無とは思いませんが、教育の成果を評価する重要性に比べると取るに足らないものでしょう。教育の公共性が優先されるべきでしょう。

という部分。以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080222/1203613243で書いたこととも重なるけれども,改革の弊害を過小評価したり,被害をいかにして小さくするかを考えずに,○○と比べたら取るに足りないというのはおかしい。
 教育改革に戦後一貫しているのは,弊害や事前に考えられる問題点にきちんと向き合うことなく,それは取るに足りないと強弁し,様々な改革が行われてきたこと。いわゆる「ゆとり教育」はその代表格。
 教育改革について考えるとき,まず考えるべきは,この改革がどういう弊害をもたらすか,その弊害をいかにして小さくするかと言うこと。そこを今までの教育改革はどれだけやってきただろうか。全国学力テストについても同じで,その弊害をいかに小さくするかなんてほとんど考えられていないではないか。弊害が取るに足りないなんて間違っている。
 全国学力テストは競争を必要としない。それは教育行政を評価するためのものだから。必要なことは教育施策を評価できる枠組みと方法と規模とをきちんと考えて実施するということ。PISAなどはそうしたところにこそ時間も労力も費用も注ぎ込んでいる。子どもの負担をいかに減らすのか,そういうことも考えている。また,この調査で何が分かるのか,分からないのかそれもはっきりさせる。全国学力テストとはその点でも大きな違いがある。PISAは弊害をいかにして小さくするかそこにきちんと目を向けて考えて取り組んでいる。
 教育改革は単にイデオロギーの問題ではない。イデオロギーがどうであろうと,立場がどうであっても改革の弊害や問題にまず目を向けて,それを小さくすることを考えるべき。