焼き直された提言の価値は

教育再生会議 提言の実現度の点検が大事だ(2月2日付・読売社説)

【主張】教育再生会議 提言は着実に実行しよう

 教育再生会議の提言はこれまでに様々なところで提言されてきたことの焼き直しに過ぎない。これらの社説はその焼き直した提言の確実な実施をと主張している。そのためには,これまでの教育行政,各種の提言についてきちんとした検証を行うということが必要になる。しかし,いわゆる「ゆとり教育」や戦後教育についての検証が,中教審教育再生会議で行われたことはない。過去の検証も無いまま自分たちの提言の実現がどうして可能なのだろうか。
 教育再生会議中教審,これらの社説と同じような主張をする方々は,教育と社会との関係を強調しながら,他方では教育と社会との関係を軽視している。
 教育再生会議が今回焼き直した様々な提言は,なぜこれまで実現できずにきたか。これまでの教育改革には,社会をどうするかという視点が無かったり,教育改革に伴ってオートマチックに社会が変わるだろうという甘い見通しがあった。それが提言の実現を阻んできた。
 教育再生会議の提言は,そこに踏み込んでいない。教育再生会議が焼き直した提言を出そうとするなら,議論の中心はどうやれば実現できるかというところであったはず。しかし,彼らにはそこを議論する力量がないし,そういう議論よりも耳目を引く提言をすることに関心を持っていた。また,安倍政権の下であれば提言の実現は可能であるという甘い見通しを持っていた。
 どうやれば提言が実現できうるかという議論を欠いたまま,新組織を立ち上げ提言の実施状況をチェックするという。おそらく実施状況が悪いと,日教組云々とか官僚が云々とかそういう「抵抗勢力」のせいだとし,教育再生会議の責任や至らなさは棚上げすることになるだろう。
 教育再生会議中教審もただ目先のことだけ,一部の現状だけを捉えて教育の将来像を描き出したり,対策を打ち出している。どちらも過去と向き合ってはいない。彼らは過去をただ非難するだけ。その非難も一部だけを捉えてやっているに過ぎない。
 まず過去と向き合い,社会と向き合う必要がある。どちらも軽視することはできない。教育再生会議のようにどちらともまともに向き合うことなく,提言を実現しろといくらわめいてもそれは無理なこと。彼らの提言は過去の焼き直しに過ぎない。けれども,それが過去と向き合うきっかけになるならそこに価値はある。けれども,そういうことを彼らもその周辺も考えてはいない。それが井戸端会議の限界。