評価の妥当性をなぜ問わないのか なぜ議論しないのか

AO・推薦入試にも学力テストを 中教審大作業部会提言

AO入試にも筆記テスト=基礎学力の評価求める?「全入時代」踏まえ提言・中教審

AO入試でも学力検査導入 全入時代迎え、中教審

AO・推薦入試にも学力テストを 中教審作業部会が提言

 先日,http://sankei.jp.msn.com/life/education/080116/edc0801160312000-n1.htmという記事を読んで,その時にも書こうかと思ったのだけれど,AO入試だけでなく,全国学力テストやセンター試験などの「評価」としての妥当性を問うたり,議論したりすることがあまりないのはなぜだろうか。
 AO入試のメリットやデメリット,その評価方法,評価の枠組み,そういったことがなぜ問われないのか。なぜ議論されないのか。また,デメリットを低減させるための方策についてどれほど議論され,どれほどその方策が講じられてきたのか。そういうことをなぜ問うてみたり,議論してみたりしないのか。
 AO入試がきちんと機能しないのは,いわゆる「ゆとり教育」のせいではないし,学力テストが行われないせいではない。AO入試という評価方法,評価の枠組みがメリットもデメリットも考えないまま導入され,デメリットをきちんと低減させるための方策がきちんと講じられてこなかったからだ。絶対評価などもそれと同様も理由で,機能していない。
 評価の妥当性を問うこともなく,いざとなれば「学力テスト」という逃げ道がある。「学力テスト」をやると言えば,何となく学力が維持できそうで,その妥当性なんてものを問うことはない。
 中教審は学力テストという逃げ道を用意し始めた。AO入試の機能停止,形骸化が進行するだけ。「評価」が機能しないのは,機能させようとしないから。そして,勝手に不満を持ち,その制度・方法を批判し,いつの間にか鞍替えしてしまう。
 「評価」は教育においては重要なもの。その妥当性を問うたり,議論したり。そういうことをもっとやってみたらどうだろう。学力テストという逃げ道に入る前に。