教科書検定制度という政治介入の道具をなぜ批判しないのか

【主張】沖縄戦集団自決 禍根を残した“二重検定”

「沖縄」教科書 “政治的訂正”の愚を繰り返すな(12月27日付・読売社説)

 「検定制度が損なわれかねない」「教科書検定に対する政治介入」であるという批判が見られるが,教科書検定制度そのものが,政治的介入を容易に,しかも合法的に,責任を曖昧にしたまま行えるものであることを見落としている。
 教科書検定制度があたかも今回の「政治的介入」によって形骸化したなどというのは,教科書検定制度への妄想から生まれてくる間違った発想に他ならない。
 教科書執筆者や教科書の出版社などをいくら批判しても,教科書検定制度が維持される限り教科書の記述への政治的介入は回避できない。また,自分たちにとって不都合であることや,自分たちの主張と相容れないことをもって,それまでの主張をあっさりと翻し,すでにずいぶん前から形骸化している政治介入の道具の堅持をいまさら主張するのはおかしい。
 教科書検定制度が政治介入の道具であることを認め,それを批判し,政治介入が容易に行えないような制度の創設をなぜ主張しないのか。今回の件を「政治介入」などと批判する前に,そうした主張をすべきではないか。教科書検定制度に対する都合のいい妄想は捨てるべきだ。