学力調査について

http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071209/1197192340

 ほとんど勢いだけで書いたエントリーにコメントなどをお寄せいただきありがとうございます。返事ができなくて済みません。
 学力調査,例えば,PISAや全国学力テスト,今回の岩波の調査などについて考えるとき,一つ考えないといけないことがある。
 村山詩帆「全国学力調査自治体が行う学力調査」『指導と評価』2007年3月号のなかで次のように述べている。

 「学力低下」をめぐる論争は「学力調査の時代」を招来したが、重大な過失がそこにあった。「学力」が日本の社会でどう制度化されているか(「学力」とは何か)を不問にし、教育達成、職業達成の決定因にすぎない「学力」を、「望ましい社会状態」を実現するための要素と取り違えて主題化してしまっている点てある。
 ローカルオプティマムや、望ましい社会状態が何かという難題にアプローチするためには、社会を公共的に構想するツールとしての規範的な社会理論が要請される(土場・盛山編二〇〇六)。学力調査データから「望ましい社会状態」への移行を達成する政策的インプリケーション(政策的に役立つ意味)を析出できるかどうかは、そうした規範的な社会理論との対話にかかっている。今後、全国調査と自治体調査から析出される「政策的インプリケーション」は、随所に大きな波紋を呼び起こすことが予測される。だが、そこから教育の規範的原理、教育の正義論への意識を目覚めさせる契機が生まれるならば、「学力調査の時代」は、やはり魅力的なプロジェクトである。

 今回の岩波の調査は,「ローカルオプティマムや、望ましい社会状態が何かという難題にアプローチ」するものであったかというところから見ると,そうではなかったように思う。岩波の調査にはそうした意義を感じられなかった。だからといって意義がないと一方的に切り捨てることは,建設ではなかったと思うので今後はそうしたことは控えようと思う。
 全国学力テスト,PISAなど様々な学力調査が実施されている。けれども,その中でどれくらいのモノが,「ローカルオプティマムや、望ましい社会状態が何かという難題にアプローチ」するものとなっているだろうか。そうした視点で学力調査を捉えてみてはいかがだろうか。