教科書の記述で白黒はっきりさせようとする,それが問題じゃないの?

自民有志「教科書検定制度は堅持を」

 何で教科書検定制度を堅持しなきゃいけないんだろう。今回の問題を見ているとすごく奇妙なのは,歴史の問題は歴史学とかそうした学問の世界で白黒はっきりさせようとするんじゃなくて教科書の記述でそれをやろうとしているところ。
 この国の学問,特に歴史学などは「教科書」で「政府公認」があるかないかでその価値だとか真実とかが決まるらしい。非常に馬鹿げたことだと思う。「教科書検定制度の堅持を」という主張とかhttp://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1097.htmlにあるような「学問の自由論」などは「政府公認」になることで自分たちの意見を「正当化」するためだけに堅持したいのだし,教科書検定制度そのものが学問の自由を侵害しているかいないかは関係なく,自分たちにとって都合が悪けりゃ学問の自由が侵害されたと主張する。その程度のことで学問が行われてる。
 教科書検定によって記述が書き換えられたのは,学問の世界で白黒はっきりした後だと言うかも知れない。じゃあ,教科書の記述が事実であるとか正当なものであるというのは誰がどうやって保証しているのか。それは,教科書の記述であるということであり,教科書検定制度(という表面的には政治的な介入ができないもの)によって保証されているのではないか。
 学問の世界における議論とか成果とかによって,教科書の記述が事実であるとか正当なものであるとは考えられていないのではないか。だからこそ,教科書の問題にこだわるのであり,今回の問題が歴史学等の世界の問題であるとは考えないのではないか。
 今回の問題を眺めながら思うのは,学問の問題を教科書の記述によって白黒はっきりさせようとするその態度がおかしいのではないかということ。教科書検定制度そのものを問うようなとをしないで,何が「政治介入すべきではない」か。何が「学問の自由の侵害」か。教科書検定制度によって保証される「教育の中立」「学問の自由」なんていらない。