総合学習っていつになったらやれるんだろう

総合学習は「遊び」の批判も 「ゆとり教育」転換

 いつどこに「基礎・基本」が「きちんと」備わっている子どもがいますか?「総合的な学習」が「きちんと」やっていける子どもがどこにいますか?
 この国では,子どもが基礎・基本ができていないと言い始めてずいぶんと経つ。「学力低下」という言葉とともに常に「基礎・基本」の鱈なさが指摘され続けてきた。そんな中でいつになったら「総合的な学習の時間」ができるようになるのだろうか。
 「人はなぜ学ぶか。」と問うとおそらく「完璧ではないから」といった答えが返ってくるだろう。それは基礎・基本に関しても同じこと。それなのに「基礎・基本」が身についてなければできない学びなんてどこに存在するのだろうか。基礎・基本が身につかなければできない学びがあると考えるのは,「学ぶこと」「教えること」を否定することと同じ。
 総合的な学習の時間は,そうした「幻想」を背負ってその「幻想」が実現されないからと否定される。そんな馬鹿げたことで総合的な学習の時間は芽を摘まれてしまう。
 そして,「子ども中心主義」「日教組」といったものと結びつけられて批判されることで,不当な評価を受けている。ここでもまた総合的な学習の時間の芽は摘まれている。
 総合的な学習の時間は,芽を摘まれてしまった。その芽はいろんな可能性を秘めていたはずなのに。