教育を閉ざすなら不登校問題は解決しない

【主張】不登校増加 事なかれでは解決しない

 おそらく,多くの方が「いじめ」の問題について書かれていると思うので,天の邪鬼に次のようなことを指摘しておきたい。
 社説では,

 いじめ問題など公教育不信のなかで「学校に無理して行かなくてもいい」という風潮が広がることが心配だ。学校、教師は専門家の知恵も借り、家庭と積極的に連携して問題の解決につなげてほしい。

と述べている。この一文にここで指摘したい問題がよく現れている。まず,

 いじめ問題など公教育不信のなかで「学校に無理して行かなくてもいい」という風潮が広がることが心配だ。

というが,なぜそれが心配な問題なのだろうか。学校に行くことがその後と大いに関わりがあることを承知の上であえて指摘したい。
 学校に行かないという選択は,教育を拒否することではない。日本では,学校に行かなければ「教育」が受けられないことになっている。ここでいう「学校」は,一般的に考えられる学校だけでなく,もう少し広い意味で捉えている。学校以外の場所で社会的に認知されている「教育」を受けられる場所はない。
 でも,それは「教育」を閉ざすことであり,子どもの学ぶ権利を制限することであり,それが不登校の問題をより深刻にしている。
 不登校であると言うだけでその後の状況が悪化する。大いに不利になる。そうした制度しか用意しないのは,「学校」だけが「教育」する場であり,受けられる場であると考えているからだ。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070701/1183261276で書いたけれども,学校が子どもたちにとって閉じていても,教育が閉じていなければいい。
 教育を閉ざし,学校に子どもを戻すことだけを考えている。不登校の問題はいじめの問題だけでなく,教育や学校を問い直す問題として捉えるべきだ。