奇妙な強迫観念と張子の「日本教育」

やばいぞ日本】序章 没落が始まった(1)「ダイナミズム失う」

 この記事には,奇妙な強迫観念に満ち満ちている。読んでいて気分が悪くなるほどに。
 PISAやTIMSSなどの結果が報道されたときもそう。経済界が教育について語るときもそう。何でこんなに危ないっていう強迫観念にとらわれているのだろう。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070129/1170046182http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060508/1147019330で書いたことだけど,アジアの国々や今成長をしている国々は,かつて日本が通ってきた道を同じように辿ってきている。かつての日本も同じように他国からは脅威だと思われていたのではないか。
 やばいとか,危機だとか,そうして危機感をただ煽るよりも,足元にある問題を一つ一つ丁寧に解決していくことが必要じゃないかと思う。例えば,http://shinka3.exblog.jp/6430699で取り上げられているような問題を放置して,どうやって世界に通用する大学・大学院をなどになれるのだろうか。
 教育再生会議の議論にしても経済界の教育論にしても,足元にある問題は放置したまま,その問題から目線を逸らすための華々しい議論ばかりやっている。「教育ポピュリズム」が満ち溢れている。
 今回取り上げたような記事が出ると,教育をあーしろこうしろということが主張される。そういう主張がいつの間にか,ノーベル賞受賞者を云々とか,英語を話せる子どもを云々とか,そういう訳の分からない目標へと変わっていく。そうなると足元にある問題は,目に入らなくなる。そうして張子の日本教育が出来上がる。そして,それを見て立派になったなと満足するのだろうか。