日本に教職大学院なんていらない
教職大学院:国立15、私立6校が設置認可を申請
教職大学院にいかなきゃ学べないものって何だ。本当にそんなもの必要なのか。
佐久間亜紀氏が「誰のための「教職大学院」なのか 戦後教員養成原則の危機」『世界』6月号2007年で何が問題なのか詳しく述べている。
そこで指摘されている問題も重要だが,ここで指摘しておきたいのは,教員が育つ場所や機会,その内容がどんどん狭く,瑣末で,表面的なものに限定されてきているという問題だ。教師の蛸壺化が指摘されながら,教師はどんどん蛸壺に追いやられているのが現状だ。
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/06/post_906.htmlで
かつてから教師教育の世界では、教師「同士」の協働や内省によって、教師は成長していくものだとされていた。その成長の機会は、学校に限局されていたと思う。
そもそも、理論体系の中に、教師以外の人的リソースや(ありえるのは親、行政官など、いずれも教育のステークホルダーである)、学校以外の場所が想定されることはあまり多くなかったといってよい。
と指摘されているように,これまでも限定されていたということはある。だとしたら,
「学校内部と学校外部のback and forth」を前提にした成長モデルを構築しなければならないのかもしれない。
と指摘されているように,そういうモデルを構築すべきだ。
でも,今創設されようとしている教職大学院はそのモデルとなっているだろうか。
今の状況は,教職大学院という箱物を作って,とにかく生き延びましょというようなものだ。そんなものを作るよりやるべきことはいくらでもある。既存の制度を改善することで,できることはいくらでもある。教職大学院は教育バブルだ。そんなものは要らない。