学校改革を考える

文化の破壊ではなく変化を

 学校を改革しようとするときに必要なものは何だろうかと考えている。学校には文化がある。個々の学校にはそれぞれの文化がある。学校の改革だけに限った話ではないけれど、そこにある文化を全否定したり、破壊するような改革をするなら、その改革はうまくいかない。
 学校の改革で必要なことは、学校文化の破壊ではなく、学校文化を変えるということだと思う。学校文化を変えるために必要なことは、学校文化を変える必要の無いものと、変える必要のあるものとを見極めること。そのためには、様々なものについてその根本に立ち返って見直す必要がある。そして、それはとても重要な作業でもある。その作業を経ることで、自分たちがやってきたこと、やっていることに対する理解や認識が深まるからだ。

見えにくいところに目を向ける

 そして、文化が変わるというのは、すぐに分かるようなもの、はっきりと目に見えるようなものばかりではないということも忘れてはいけない。
 最近の教育改革に特徴的なのは、「目に見えるもの」ばかりをやろうとするということだ。だから、制度変更ばかり行われる。そして、そういうものでなければ改革ではないと言わんばかりに「変えろ」「はっきりさせろ」と周りが言う。そういう改革では、見えにくいものを軽視し、制度が変われば自動的にそういうものも変わるんだと思い込んでしまう。
 目に見えるものの変化だけを追い求める改革では、目に見えにくい部分はブラックボックス化される。だから、そこにある問題は見えないし、手がつけられない。外装だけをリフォームして満足するから、内部の軋みなどは放置される。制度を変えて、「さあ、やれ」といくら叫んでも変わらないのは見えにくい部分の問題が解決していないから。

外部から支援する仕組みを

 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070407/1175928999でも書いたことだけど、最近は学校を監視し、統制すること、そのための仕組みばかりが主張される。それは、学校の抱える問題を今まで以上に内部で抱え込んだり、内部の力を弱体化させる方向に向かう。
 教育委員会や学校評議会、第三者機関のどれも本来なら外部から内部を支援する組織であるべきだ。しかし、そういう役割ではなく学校を監視し、統制するための組織としての役割のほうに期待が寄せられている。
 教育基本法の改正や教育関連3法案の改正は、外部から支援する仕組みを整備するためではなく、外部からの介入を容易にしたり、監視・統制をしやすくするような方向で改正されている。それは、学校の官僚化を促進することはあっても、内部からの改革を促すことにはならない。
 学校の改革は、内部だけではできない。外部からの支援があってこそできることだ。そのためには、外部から支援する仕組みを整備することがまず必要になる。

漸進的な改革

 学校改革は、急激なものより漸進的なものであるべき。拙速な議論と拙速な改革の実施ではなく、十分な議論と着実な実施が必要だ。そして、落ち着いた議論、落ち着いた改革ができる環境を作ることが重要だ。