御破算型教育改革による断絶と無責任

 保坂展人氏のブログに先日の衆議院教育再生特別委員会での様子が取り上げられている。

 教育改革が叫ばれながら、4半世紀。その主要な問題点は、いっこうに改善されないままに、「制度いじり」が続く。本来は、教育現場での環境改善・充実として解決されなければならない問題が制度論とすりかえられてきた。「今日の議論が更なる教育の荒廃を生んだ時、その責任はここにいる議員のみなさんにあります。たとえ議員でなくなっていても、責任はとってもらいます」という警句に議場内はシーンとなった。明日は、山形県の地方公聴会に出かける。

 なぜ、教育改革が本来解決すべき問題を残したままこれまで何度も繰り返し行われてきたのか。その理由は、御破産型の教育改革による断絶と無責任にあると考える。
 ここでは、全国学力テストを例として取り上げたい。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070414/1176482149で書いたことの繰り返しになる部分もあるが書いておきたい。よく報道などでは、先日実施された全国学力テストが四十数年のブランクを経て実施されたということが言われた。そして、その報道によってこれまでの間教育の現状を把握する手段もなく教育改革が行われてきたんだというように受け取られている。
 しかし、実際には教育課程実施状況調査などが行われてきたし、学力低下論争が大きくなった頃から、各自治体などで学力テストは実施されてきた。それにも拘らず、全国学力テストの実施によって初めて学力テストという方法を用いて現状を把握することができたかのように誤解されている。
 本来なら、全国学力テストは教育課程実施状況調査や各自治体の学力テストの延長線上に位置づけられ、そういう先行事例の検証が行われ、その課題をクリアした上で、全国学力テストは実施されるべきだった。しかし、実際にはそういうことにはならず、全国学力テストは断絶した状態で議論され、実施された。
 そのために、これまで実施されてきた先行事例についてきちんとした検証が行われず、解決すべき課題はそのまま残されてしまっている。そして、強調されるのは、これまでの経緯は無視して、「やってみなければ分からない」とか「現状を把握しなければいけない」といったことばかり。
 子どもの学力の現状や教育の現状については、小さい範囲ながら検証されてきたし、そのたびに様々な問題点が指摘されてきた。そこで指摘されてきた問題には、方法や範囲は異なるとしても共通するものも多くある。そういったものをきちんと検討し、その問題を解決することをまずやるべきだ。しかし、実際にはそういうことは無視され、「やってみなければ分からない」とか「現状を把握しなければいけない」ということばかり強調されてきた。
 これは教育改革一般にも当てはめて考えることができる。これまでの改革の経緯とか、過去の改革の検証をすることなく、過去は御破産にし、あたかも何か新しいことを始めたかのように装い、過去と断絶し、責任も断絶してしまう。
 たとえ、教育が社会情勢などに大きく左右される面があるとしても、過去の経緯を無視したままで新たな改革を行うというのは愚行と言うほかない。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070105/1167951010ゆとり教育についても同様のことを指摘したし、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070127/1169875268で、戦後教育をどう始末するかということを書いた。「ゆとり教育」に関しては、「ゆとり教育」とは何だったのか。未だにきちんとした検証は行われていないし、その上で活かすべきことと捨てるべきことが何かを考えるということも行われていない。それは、戦後教育全般についても言える。
 全国学力テストは、実施されたばかりだからとか、やってみないと始まらないとかそういうレベルで捉え、肯定すべきものではない。全国学力テストが今登場し、実施されるなら、過去をきちんと検証し、その問題をクリアしたものでなければならない。そういうことがきちんと行われていないことがはっきりしているのに、その点を指摘しないのは間違っている。
 日本の教育改革は、過去を御破産にして、その時々の雰囲気や状況などに依拠した、その場しのぎの改革にしかなっていないし、現在でもそれは変わらない。
 過去と断絶してしまえば、たとえいくつもの教育改革のメニューが示され実施されたとしても、やがてそれは同じように御破産にされ、新たな改革によって上書きされてしまう。そして、過去と断絶してしまうために、責任も曖昧になってしまう。
 御破産型の教育改革が続く限り、藤田氏が

 校内暴力、いじめ、不登校、少年犯罪」などは、1980年代以降、『日本の教育の危機』を象徴する問題だ。
 根本的な改革が必要な理由だと、言われ続けてきました。…改革が始まって四半世紀もたったのに、いまだに同じことが言われているのですから、そのこと自体、これまでの改革は成功していないということを示しています

というように四半世紀も根本的な問題は解決しないまま、改革だけが繰り返されていくということがこれからも続くことになる。