過去との比較にどのような意義があるのか

 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070508/1178557492で引用した論文の中で、澤田氏は、

 今回の全国学力調査には、知識・理解の多くの部分に過去の同一問題を積極的に出題してほしい。それによって、学力の推移を検証し、学力が本当に低下しているかを見る絶好の機会だと思うからである。

と述べている。過去との比較によって得点の肯定が明らかになったとして、それにどうような意義があるのだろうか。
 過去との比較で、もし得点が下がっているという結果になれば、いわゆる「ゆとり教育」に対する風当たりは強まり、「ゆとり教育」の見直しが叫ばれ、文部科学省も目に見える形で「ゆとり教育」からの脱却というのを示さなければならなくなる。
 逆に、過去との比較で得点がほぼ同じか、上昇していれば、「ゆとり教育」に対する風当たりは弱まり、文部科学省は責任追及の手から一時的に逃れることができる。
 過去との比較によって、「ゆとり教育」への風当たりが変化したり、誰かが免責されたり、「ゆとり教育」を受けているとされる子どもたちなどの不安が和らぐかもしれない。過去との比較にはそういう意義しかない。
 村山詩帆「全国学力調査自治体が行う学力調査 魅力的なプロジェクトとしての「学力調査の時代」」『指導と評価』3月号2007年のなかで、村山氏は

 全数調査に積極的な意味があるとすれば、おそらくそれは、1.児童生徒の教育達成を中間評価し、2.児童生徒が自由に希望を抱ける社会になっているかどうかを余すところなく評価することにより、QOL(Quality of Life)の不平等を高い精度で示してくれる見取り図が得られる点にある。児童生徒の各教科の学習達成度と、学習方法や学習環境との関係が明らかになれば、指導内容・方法の改善・充実を通して、QOLの不平等を是正する方途が開かれることになる。

と述べている。
 先日実施された全国学力テストは、いわゆる「格差の問題」についてどのような現状なのか把握すること、調査結果から格差軽減のためにどのような対策を導くことができるかという点こそ重視すべきであると考える。
 過去との比較によって先ほど述べたような意義があったとしても、過去との比較によって格差の問題について大きな収穫が得られるとは思わない。
 過去との比較による得点の高低に関心が向けられ、「ゆとり教育」の是非というような点だけに議論が集中してしまえば、「格差の問題」への関心が薄れ、きちんとした議論が行われないのではないだろうか。
 村山氏は、同論文の中で、「学力調査データから「望ましい社会状態」への移行を達成する政策的インプリケーション(政策的に役立つ意味)を析出できるかどうかは」、「規範的な社会理論との対話にかかっている」と述べている。
 全国学力テストは、過去との比較よりも、「学力調査データから「望ましい社会状態」への移行を達成する」ことの意義のほうが大きいと思う。そして、そのためにはどのようなデータが必要か、どのような方法であればいいのかといった議論や「規範的な社会理論との対話」を行うことが必要ではないか。
 繰り返しになるが、過去と比較することで、「ゆとり教育」の是非といった学力低下論争に決着がつけられたとしても、それが「格差の問題」の解決に与える影響は小さい。そういうものよりも「格差の問題」をどうするのかというような問題にこそ関心を向けるべきだし、全国学力テストを、それができるようなものにするのはどうすべきかというような議論をすべきだと思う。