外にいる人の目にはどのように映っているのだろうか

東大入学式 学長激励「世界の知の頂点めざせ」

 最近、世界の知の頂点を目指すとか、日本の大学・大学院を国際的に通用するものにするということをよく見聞きする。そういうときにいつも考えるのは、外にいる人の目にはそういう日本、日本人の姿はどのように映っているのだろうかということ。
 戸や窓を半開きにした常態で、みんなして「世界の頂点を目指せ」とか「国際的に通用する大学にするぞ」とか叫んでいる。ただそれだけしかやっていない。外から見るととても滑稽な光景だろう。
 国際的に通用することを目指すならば、解決すべき問題は山ほどある。外から学びに来るものがそれほど支障なく学べるような環境がどれほど整備されているだろうか。また、日本の大学で学んだ後、学んだことを生かすことができる環境がどれほど整備されているだろうか。環境を整備するということについては不熱心なのに、世界の知の頂点だとか国際的に通用するとかそういうスローガンだけは連呼し続ける。それが現状ではないか。
 そして、さらに滑稽なのは、外国の制度を何の考慮も無く取り入れて、それで外国と同じ土俵の上に立っていると勘違いしているところだ。国際化=外国の制度を猿真似することだと勘違いしている。自分たちの利益を損なうようなもの以外は、日本の制度は駄目だと決め付ける。そして、外国の制度はすばらしい、外国と同じでなければ駄目だと主張する。
 外国から見ると高等教育の現状はとても滑稽な姿として映っているのではないだろうか。東大の総長は「常識を疑え」と言ったそうだが、自分たちの叫んでいるスローガンを疑うのが先ではないだろうか。