教育再生会議はバーチャルな世界で教育改革をやっている

教育再生会議:大学の「ギャップイヤー制度」提言へ

 政府の教育再生会議は14日、5月にまとめる教育改革に関する第2次報告で、大学に合格した学生が半年程度学校に通わず、ボランティアや就業体験活動をすることを認める「ギャップイヤー制度」の導入を盛り込む方針を固めた。再生会議は道徳の教科化など、規範意識の醸成に重きを置いており、同制度もその一環と言える。

 また、安倍晋三首相が提唱している、大学の入学時期を9月にずらし、その間ボランティア活動を行う新たな制度の実現に向けた足がかりにする狙いもある。

 教育再生会議が5月に出すと言われている第2次報告に盛り込まれる提言の内容について連日報道されている。報道されている提言の内容を見ると、どれもこれも現実離れしたものばかりだ。なぜそう考えるか。その理由は、彼らの提言には「社会」が抜け落ちているからだ。
 まず、ギャップイヤーの導入について。ギャップイヤーの導入はハードルが低いと教育再生会議の委員は考えているのだという。では、実際に導入したときに企業などがギャップイヤーを経験した者をどのように評価するだろうか。どの企業もプラスの評価をするだろうか。マイナスの評価をする企業もあるのではないか。良いことなんだからマイナス評価をする企業がおかしいと言われるかもしれないが、果たしてそういうことで社会の意識が容易に変わるだろうか。
 社会の意識の変化が無ければギャップイヤーの導入は決してうまくいかない。しかし、教育再生会議は、社会意識をどう変えていくかという問題を全く議論していないし、具体的な戦略も示さない。
 これまでの日本の教育改革の失敗の要因の一つが、社会をどう変えていくか、社会の変化をどう教育施策に取り入れていくかという視点が無かったということだ。それは教育再生会議の場合も同じだ。
 教育再生会議がこれまで打ち出してきた提言は、社会の変革を要するものばかりだ。しかし、教育再生会議は社会をどうやって変えるかということはほとんど考えていない。教育制度が変われば社会も自動的に変わると勘違いしている。
 教育再生会議のメンバーの頭の中にあるバーチャルな社会では、彼らの提言することが必ずうまくいくのだろう。そして、社会を変えることは容易なことだと考えているのだろう。だから、彼らは社会について議論しない。だから、出てくる提言はどれも現実離れしたものばかりだ。