学力調査の時代

[asin:4000224433:detail]より引用。

 1998年に文部科学省が学習指導要領の改訂を行って以後、数年間にわたり、いわゆる「学力低下論争」が繰り広げられた。「分数のできない大学生」の存在がクローズアップされ、削りすぎた教育内容に対し、批判や不満や不安の声があがった。学習指導要領をめぐる議論が、教育界にとどまらずマスコミを巻き込んで展開したことは記憶に新しい。そういう声に押されてか、文科省は、「学習指導要領実施状況調査」と呼ばれる、サンプリングによる全国「学力調査」を実施した。この間、人びとの関心は、「学力は低下しているのか」に集中していたといっても過言ではない。
 その後、文科省にとどまらず、各地方自治体が独自に学力調査を実施するようになった。一部の地域では、全数調査を行い、学校別に結果を公表するというケースも現れた。また、最近の報道によれば、文部科学省もサンプリングによる「学習指導要領実施状況調査」ではなく、地域間の競争を促すために全国一斉学力調査の実施を視野においているとの報道もある。子どもたちの勉強しすぎが心配され、「ゆとり」教育が目指されてきた、あの90年代後半の教育改革の見取り図はいったい何だったのか。皮肉にもゆとりを目指した学習指導要領が本格実施された2002年以後、日本は「学力調査の時代」を迎えた。
 だが、いったい、何のための学力調査なのか。調査結果は、どのように分析され、どのような知見が導き出されているのか。それらは、教育政策や教育現場の改善にどのように生かされているのか。生かす仕組みについてどれだけ考慮されているのか。こうした点から振り返ってみても、疑問だらけの調査が少なくない。平均正答率を示すだけの調査結果の公表。それほど根拠もなくつくられたかにみえる「設定通過率」を基準に「おおむね良好」との公式見解を出す行政。子どもの意識や生活についての質問紙調査と同時に実施された学力調査も、単純なクロス表の分析や平均値の比較だけにもとづいて、例えば「朝食をとらない子の正答率が低い」といった見解が示されたりする。専門的な視点からみれば、不十分な分析しか行われていない。それが「学力調査の時代」の現状である。「ゆとり」志向が幅をきかせ、ペーパーテストの学力が忌避され、学力論議が無風となってしまった時代への反動からか、2002年以後の「学力調査の時代」はうってかわって、調査をすればよしとする風潮が蔓延しているようにみえる。それが、やったらやっただけの調査の量産を許している。