もう少しきちんとした議論をすべき

ゆとり教育」見直し、賛成8割=免許更新制導入求める〓時事世論調査

 時事通信社が18日まとめた世論調査結果によると、学力低下の原因と指摘される「ゆとり教育」について、約8割が見直しを求めていることが明らかになった。また、終身有効の教員免許に関しても、更新制導入を求める意見が約8割に上った。教育現場への根強い不満が浮き彫りになった。

 まず、調査内容について詳細なデータなどを見ていないので推測で書いてしまう部分もあるということを断っておきます。
 最初に指摘しておきたい問題は、いわゆる「ゆとり教育」という言葉が、この調査においてどのような定義づけをされたのかということ。
 一般的に使われる「ゆとり教育」という言葉にはこれという定義が存在しない。おそらくそんなことはないと思われるかもしれない。しかし、現実には定義は存在しない。
 そのことが意味することは何か。それは、「ゆとり教育」という言葉が使われる文脈、使う人の考え方などによって多様な意味が付与される言葉であるということ。だから、「ゆとり教育の見直し」という言葉だけでは、何を見直すという意味なのかはっきりしない。
 しかし、多くの場合、そのことを忘れて「ゆとり教育の見直し」という言葉が使われている。実はそれによって大きな問題が生じているにも関わらずだ。
 よく、国会の議論などで「ゆとり教育」の「理念」は間違いではないが云々。という風に言われる。しかし、考えてみてほしい。「ゆとり教育」というものに本当に「理念」が存在したのかということを。
 いわゆる「ゆとり教育路線」というものは存在したのかもしれない。しかし、それは、ここ数十年間の教育政策の流れなど全体を大まかに表現した場合に言えることであり、何か明確な理念があって、教育政策がすべて同じ方向性にあったという意味での「ゆとり教育路線」とは言えない。
 ここで先ほど書いた大きな問題というのは、「ゆとり教育」というものの多様性を見ないで、何もかも等閑視してとにかく「見直し」という議論しかされていないということだ。
 だから、「ゆとり教育」なるものによってどのような成果が上がったのか、どのような問題が生じたのか、一向に整理されない。だから、ここ数年の教育改革は、混乱している。
 「ゆとり教育」について何の総括も行わずに、ゆとり教育の失敗をまた繰り返そうとしている。その失敗とは何か。現状をきちんと把握し、将来に対する見通しを明確にした上で教育施策を立案し、遂行しなかったとういうことだ。
 全国学力調査が実施される。しかし、それによって何が把握できるのか。把握したいことがそれによって把握できるのか。といったことがほとんど議論されずに、「現状を把握しなければ始まらない」という転倒した論理によって全国学力調査は必要だと主張される。全国学力調査には反対などと言うと、「現状を把握するためにやるのになぜ反対するのか」と批判される。いじめの問題の調査でも同じようなことがある。それは全く転倒した論理であり、間違った考え方だ。
 「ゆとり教育」にしても「学力」にしても定義は無い。それにもかかわらず、見直しや調査の必要性だけが強調される。それでは、一向に問題が整理されない。問題を整理せずにどうして改革ができるのだろうか。改革さえやっていれば、改革と言いさえすれば、何か良くなるのだと勘違いされている。
 ゆとり教育見直しというのを、例えばこれこれという問題が生じている。だから、見直しが必要だ。という議論へと変えていかなければならない。そのためには、議論すべき課題が膨大に残されている。現状を把握するにはどのような項目を調査すべきか、そのためにはどういう調査方法があるか。そして、調査の結果をどのような組織で議論するか。調査結果をどのように公表するか。そういった議論が置き去りにされている。一刻の猶予も無いと言うが、冷静な議論を欠いた拙速な見直しは問題を深刻にするだけだ。もう少しきちんとした議論をすべきであり、する場を設けるべきだ。