念力主義の教育万能主義

奉仕・体験学習の国民会議を提言 教育再生会議

 政府の教育再生会議は16日、規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)を開き、子どもに好ましくないテレビ番組やパソコン・携帯電話で見られる出会い系サイトなどの有害情報対策とともに、奉仕・体験学習・スポーツ活動に取り組む「国民会議」(仮称)を創設する方針で一致した。

 こういうものをマスコミはなぜ批判しないのだろうか。記事には、

 各経済団体やPTAなどの教育関係の民間団体などで構成することを想定。有害情報対策の徹底のために、マスコミの経営者や、スポンサーとなる一般企業の経営者の参加も求める。

ということが書いてある。マスコミや企業の経営者がこういうものに関われば、起こりうることは容易に想像できる。これは「教育的」それは「教育的じゃない」という判断で、情報が流されたり、制限されたりするようになるだろう。もちろん、教育行政や政治化にとって都合のいい情報は常に流されることになるだろう。
 こういう国民会議などというものが発足したら、悪書追放運動などが開始されるだろう。こういうのは異常なことだ。
 最近特に感じるのは、教育というものが「絶対視」されているということ。以前、広田照幸氏の「教育の失敗という教育神話」とういうのを紹介した。

 青少年問題が「教育の失敗」の結果だとして説明されがちであることは、いわば、裏返しの「教育万能主義」という神話が議論の根底に存在しているということを意味している。
 青少年の起こす事件をすべて「教育の失敗」とみなす発想は、青少年の生活全体を、大人が管理・コントロールできるし、すべきだという、ある種の社会的な暗黙のコンセンサスがあることを意味しているのではないだろうか。

と広田氏は指摘している。教育が良くなれば子どもは良くなる。「教育的なもの」は「善」であると疑いも無く信じ込んでいる。そして、一心に「教育再生」という題目を念じ続ける。念力主義の教育万能主義だ。それはとても怖いことだ。