なんとなく感じることは

【夢風船】(166)いじめに悩む子に告ぐ! 家族の愛の深さがわからないか

 この記事を読みながら考えたのは、なぜ、文部科学大臣の名前で出したhttp://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06110713.htmも、この記事も、テンプレート通りのことしか言えないのだろうかということ。
 そういうものがなんとなく心理学的な要素を臭わせながら語られたり、使われたりする。そういうことを言ったり、使ったりするのは、子どもはこう言われたらいじめを止めたくなったり、自殺を思いとどめたくなったりするんだという、子どもの心理を自分たちは分かっているんだという前提があるからではないか。
 そして、そういう心理というのはこういうものだと一般化されたものとして捉えている。だから、こういう決まりきったことを何度も繰り返し使ったり、言ったりする。
 文部科学大臣の出すような声明だと、色々な子どもがいて、様々な要因があってということを、ある程度無視せざる得ないのかもしれないが、それにしても、毎回同じようなことしか言えないというのはどうなんだろうか。
 文科相の声明にしても、この記事にしても、そう言われる事で逆に追い詰められる子がいるかもしれないということは、どれくらい考えているのだろうか。
 いじめの問題のように、簡単に解決しそうもない問題で、こういう、テンプレ的な言い方とかを見ると違和感を覚えてしまう。