拙速で不十分な議論しかできないなら止めたほうがいい

教員免許の更新制 「資質向上」と「不適格排除」

 この記事の中でもっとも注目したいのは、

今国会の法案提出期限が3月13日に迫っていることから、中教審では細部は詰めず、具体的な内容、方法は法改正後に省令などで示すことになりそうだ。

というところ。
 教育再生会議の議論にしても中教審の議論にしても、教育は非常に重要な問題だと言いながら、中身を詰めないまま答申や提言だけを出すということがある。
 教育再生会議などに対して、彼らは教育をおもちゃにしているとこのブログでも書いてきたけれど、教育は重要な問題だという認識が本当にあるなら、中身を詰めるだけの時間をくれとか、調査などを行いたいから予算や人員を確保してくれとまず言うべきだ。そういうことを言うこともなく、言われるままに都合のいい答申や提言を出している。
 教育再生会議同様、中央教育審議会も井戸端会議になっている。例えば、教育再生会議が大綱的なものを出してくるとするなら、中教審はそれを具体化するという役割を担うということもできる。しかし、現在の中教審はそういう役割を担っていない。単に、教育再生会議などの打ち出したことを追認しているだけ。あたかも正当な議論を経て、みんなの意見をまとめて出来上がったもののように偽装しているだけだ。
 何度も繰り返すが、教育が本当に重要な問題だと考えるなら、立場が違おうが、イデオロギーがどうだろうが、十分に議論をして問題の解決を図っていくべきだ。
 そして、そういう場として中教審教育再生会議があるとするなら、そこは責任を持って議論をする場として機能するべきだし、機能させるようにするべきだ。
 拙速で中身をきちんと詰めないような議論しかできないなら、議論を止めるべきだ。議論を形だけやって、反対意見も聞きましたといって済ますのは間違っている。