本気で言っているのか

【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 善行と美談を小学校教科書に

 筆者ら昭和一桁(けた)生まれの世代は、尋常高等小学校の文部省国定教科書で、人間の鑑(かがみ)となる立派な日本人像について、二宮尊徳野口英世、そして「稲むらの火」の“庄屋の五兵衛さん”など、実例で教わったが、一番大事なのは、宮本巡査部長、韓国人留学生李さん、カメラマン関根さんのように、普通の人の善行・美談である。文部科学省は「美しい国」(安倍総理)を造り、「国家の品格」(藤原正彦氏)を保つため、国民の魂をゆさぶった純粋感動の物語を小学校教科書にのせて伝承すべきだ。これこそが真の「教科書問題」であり、自虐史観が問題ではない。

 例えば、宮本巡査部長の話を「美談」としてしまうと、宮本氏の「生」と「死」のリアルさが失われる。宮本氏のや家族、周りの人たちの思いも、美談のために捨象される。美談にすることで、様々な「現実」が切り捨てられてしまう。
 そして、そういったバーチャルな「生」と「死」とを教え込まれる子どもたちは、バーチャルな「生」と「死」を追体験することになる。そこには、生きる苦しみも死ぬ苦しみもない。生きるという「現実」と死という「現実」がない。子どもたちの感覚は、麻痺させられ、「生」と「死」とが無感覚のものになってしまう。
 佐々氏は、そういう教育を受けた世代のはずだ。そして、その教育がどのような子どもたちを育てるのかも知っているはずだ。それなのになぜこのような主張を行うのだろうか。