マスコミの悪質な印象操作

いじめ対策の報告わずか 日教組教研集会

 日教組日本教職員組合)の第56次教育研究全国集会が10日、約4000人の組合員を集め、大分県内で始まった。集会ではグループ学習で共同体感覚を培い、いじめ解消につなげた事例が1件報告された。だが今回、現場から集められた約800の教育実践報告のうち、いじめ対策に関するものはほとんどなかった。

 こう書くことで、日教組はいじめ問題に取り組んでいないという印象を読者に与えようとしている。こういう報道が教育の現場を混乱させ、日常いじめの問題に取り組んでいる教員のやる気を削ぎ、対応を難しくする。

【主張】日教組教研集会 時代錯誤の議論いらない

産経新聞は、

 日教組日本教職員組合)の教育研究全国集会(教研集会)が10日から12日まで大分県で開かれる。各地の教組からの授業の実践事例などの報告をみると、教員評価制度など教育委員会が進める教育改革に反対する事例が目立っている。学力低下やいじめなど学校が抱える深刻な課題を議論するのが教師としての責務であろう。

というようなことも書いている。
 私は先日いじめの問題に関して北教組に批判的なことを書いた。しかし、私は、北教組に所属する教員が、いじめの問題に取り組んでいないという批判はしていない。それは、そういう批判が的外れのことだと考えているからだ。
 いじめの問題について、教育再生会議のように外からこうやればいいと言うのは簡単だ。しかし、一歩中に入ると「こうすればこうなる」式の対策ではうまくいかないことのほうが多い。そういうことを無視して、「こうすればこうなる。なぜやらないんだ。」と現場の教員に言うのは酷なことだ。
 現場の教員は、「おっしゃることはわかる。でもしかし。」ということがある。「それは、単に責任を放棄しているだけだ。」と考えるべきではない。
 いじめが教員の目から見えなくなっている(教員が見ない)のは、教員の側だけの問題が要因ではない。校内暴力などにどう対処してきたか。その結果どのようなことが起きたか。そういうこれまでの経緯も考えなければならない。また、子どもや教員の置かれている環境なども考える必要がある。だから、いじめの問題は、教員や教委を批判するだけでは解決しない。
 体罰の見直し、加害者の子どもの出席停止という教員にとって一見、有利なものを手に入れても、教員に何もかも責任を押し付けてしまうような今の動きは、教員を逆に追い込むことになる。
 今回取り上げたような記事を書く記者は、日教組という特定の限られた範囲だけを批判していると考えているかもしれない。しかし、それが多くの教員にとっても不利益をもたらしていることを考えるべきだ。